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脊髄梗塞と判明したカテーテル検査画像

発症2019.12.16から33日目の2020.1.17

二つ目の病院・東邦大学大森病院の脳神経外科で脊髄のエキスパートと言われる原田先生に、手術が可能な硬膜動静脈瘻かどうかを調べる為、造影剤を使ってカテーテル検査をして頂きました。
結果は残念ながら手術のできない脊髄梗塞と確定しましたが、血流が止まってしまった場所を知ることができ、納得できた気がします。T10~11

これは結果を説明して頂いた動画です。

入院から退院まで

最初に入院するのが急性期病院(急患や重症な病気に対する治療や手術を行う)です。入院期間の上限は3ケ月で、脊髄梗塞に準ずる脳梗塞の急性期は発症から2週間とされている中、私の場合は年末年始という時期と転院先の都合で、2ヶ所でお世話になりました。各24日間

続いて発症から3ケ月~6ヶ月を回復期と呼び、リハビリテーション病院を回復期病院と呼びます。病気の種類によって入院上限がきまっており、脊髄梗塞は180日が上限です。

リハビリテーションについては他の章で書きますが、急性期からストレッチや立つ、座る、車椅子移乗、生活に必要な作業療法や理学療法を受けました。

緊急入院:脳神経外科病院(急性期)

救急搬送された脳神経外科病院では、設立以来30年経つが、脊髄梗塞の患者は今までにはいなかったと担当医から、聞きました。もしかしたら、という人が二人だけいて、一人は3,4ヶ月で歩いて帰ったとのこと。病床は66床、職員は114人の脳・脊髄疾患の専門病院

※腰だけのMRIでは問題が見つからず、お腹、胸、頭と範囲を広げ、CTもレントゲンも撮りましたが、原因は不明。とても珍しいと先生も首を傾げ、翌日もっと詳しくMRIを撮りました。

※口も利けて、両手も動きましたが、下半身はピクリともしませんでした。

※治療はステロイドの処方が中心で24時間点滴が9日間続きました。(点滴は500mlの輸液剤とグリオール200mlを1日3~4回、そこへステロイド20~30mlを1日4回注入するという脳梗塞と同様の治療方法だったようです。)10日目からステロイドが錠剤になり、1日3回、2回、1回と減らし、薬は終了しました。

※膠原病の可能性を調べる為、腰から注射で髄液を採取しました。結果は可能性なしです。

※夜中まで腹痛が消えず痛み止めを服用。目がさえて眠れぬ夜が続きましたが、4日目の夜から少し眠れるようになりました。

※両足共に冷たい血液が身体の中をシューッ、シューッと素早く流れるようで、冷たく冷えているような感じが常にしていたので、血流をよくするためのポンプをつないでもらいました。

※看護助手さん二人係で、機械で入浴させて頂きましたが、上半身は温度を感じるものの、下半身は冷たいというより、プールに入っている感覚に近かったです。

※入院直後からトイレに行ってないことを伝え、バルーンカテーテルをつけてもらいました。排便も麻痺のせいでなく、5日目に薬を服用し対応して頂きました。オムツ状態を恥ずかしいと思いながら、病気だから仕方がないと自分を納得させていました。

入院翌日から1日4回45分(移動を除くと正味25分位)のリハビリをしてもらっていました。(内容は別の章で書きます。)担当は4人(PTさん2人、OTさん2人)補助3人

※不眠の為か入院直後から頭痛があり、鎮痛剤とアイスパックが1日数回大活躍でした。

転院:大学病院・脳神経内科(急性期)

長野県飯田市から介護タクシーで4時間で大田区大森の大学病院へ転院しました。(ちなみに介護タクシー料金は、転院先の病院から手配してもらい、11万でした。)

筋電図の検査・・・腕と足どちらも左側だけだったものの、3か所にシール式で電流が流れる部分を測りながら数回から数十回まで、強さを変えながら電流を流すと、痛みを感じない足も、電流の痛みは感じ、ピクピクと反応しました。

CTと肺機能検査(カテーテル検査の為)

腰・胸のMRIと心エコー

※足のエコー・・・エコノミー症候群に見られる血栓が左ふくらはぎに見つかったので、血液サラサラの薬を追加し、しばらく2種類飲むことになりました。一度うっかり薬を飲み忘れたら、看護師さんに肺に飛ぶと大変な事になるので、忘れないようにと注意を受けました。

※前の病院と違い、シャワーのみ。看護師さん一人で洗ってもらう。歩かないせいか、一日中靴下を履いているせいか足の裏の角質が厚くなり、かかとがゾウの足のようだったことに驚き、必死で消毒布で拭いてきれいにしました。

※不思議なことに右手の甲に続いて左手の甲の皮もむけ始めました。乾燥しているからか、まったく洗い物などの家事をしないからなのか?このころから、腹痛後40分位で排便があるという自分の身体のリズムを実感し始めた気がします。

※転院後11日目、脊髄の専門家である脳神経外科医師により全身麻酔で2時間以上かけ、造影剤を少しずつ注入しカテーテル検査をして頂きました。(画像をYoutubeに投稿し、ここに添付して参考にして頂こうと思いましたが、できませんでした。)

結果、硬膜動静脈ろうの疑いは消え、脊髄梗塞が正式な病名となりました。場所もおへその少し上10、11脊椎辺りの血管につまりがありました。以前から進行していたものが、何かのきっかけで詰まってしまったのだろうとしか言いようはなく、治療としては脳梗塞と同じになるとのことでした。

脳梗塞であれば、今は回復させることができるようになったが、脊髄は一度滞ると、そのあと血液が通っても機能を回復することはなく、また周りに色々なものがあり、通すこともできないらしいです。

先生の話では、全神経が死んでいる訳ではないので、生きている所や他の所から改善がみられるようになる可能性は低くないので、リハビリを頑張るしかないとの結論でした。

※ここでのリハビリは午前と午後2回で、始める前にリハビリ室の前に連れて行ってくれるので、正味40分しっかり、対応してもらいました。私の担当はPTとOTの二人でした。

自宅から徒歩10分の病院で948床あり、職員は2240人、それぞれの病院の特色を知りました。

リハビリテーション病院(回復期)

病床180床、理学療法士(PT)90人、作業療法士(OT)56人、言語聴覚士(ST)20人体制で365日
玄関を入ってすぐのところに広いリハビリスペースがあって、病院と聞いていたのにスポーツジムのように活気があって驚いた。

神経内科の担当の先生が今まで検査していないHTLV1という遺伝子が関係している病気について話して下さって、対応頂いた。あらゆる可能性を追求し調べて下さるのは、ありがたい事。

血栓の為に飲んでいた薬も、弾性ハイソックスもしばらくして、終了した。
40日目位から(前の病院から)痺れがひどくなり、痛みが増してきたのでリリカを処方してもらうが、なかなか効果を感じず、可能な量を増やしてもらう。

今までストレッチャーで寝たまま洗ってもらっていたのを、60日目で椅子に座ってシャワーを使えるようになり、その後ベンチが湯船になるもので、入浴できるようになった。

できる指数というのがあり、入院時64点/126点満点が60日目で84点になり、110日目には105点、ほぼ満点に近くなり退院となった。

67日目にバルーンを抜き、70日目にかけて導尿の指導をしてもらい、自己導尿を習得

下剤で調整していた排便を85日目位から敵便の指導をしてもらう

病院での飲料計量と排尿計量が95日目で終了したので、自分で管理表をつけることにした

退院2ヶ月前、担当PTさんとOTさんが家屋調査に行ってくれて、退院後の生活に必要な手すりなどの計画を立ててくれて、その後一緒に自宅へ行き、確認した。

161日目退院して自宅へ帰る

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