2024.7.3のメールより
私は、2019年10月19日に出張した北米からの帰国便の中で発症しました。
トロント発のフライトが大幅に遅れ、シカゴで乗り換える日本行きのフライトに間に合いませんでした。トロントで機内で待機することになり、座席が真ん中でもあったため水分を摂らずに3時間程過ごしたことが脊髄内出血発症のスタートだった気がします。
シカゴでは新たにフライトを手当てして日本へ向かいました。暫くして、両脚が徐々に痛くなり、これがエコノミー症候群だと思っていました。この時、痛くて眠ることもできませんでした。しかし、シカゴ空港でも普通に歩いておりました。そのまま、土曜日の夜に羽田に到着しました。皆さんの様に緊急搬送されるような急激な症状ではありませんで、自身の脚で歩いておりました。帰国後、駅近くの寿司屋でビールを飲んで寿司を食べてからタクシーで自宅へ帰宅しました。日曜日もかなりの違和感があったものの、サウナに行けるくらいでした。ズボンが上手く脱げない・履けないのが何なのか分かりませんでした。
翌21日月曜日のAMは私が主催する会議があったのでこれだけ出てA総合病院に直行しました。ここでは若い医師が脚のエコーを取ったりして血栓を確認していました。痺れ止めと痛み止めを処方されて帰宅しました。翌日22日は、(不謹慎ですが、私にとっては不幸にも)今の天皇陛下の即位礼正殿の儀があり休日で身動きが取れませんでした。23日は朝一から再度、A総合病院に行きMRIを撮りましたが、診断付かずで整形外科の医師が、「ヘルニアか脊髄の上の方に問題がある。予後がなぁ~。」と不吉な呟きが今でも耳に残っています。
A総合病院でB病院を紹介されました。そこでも処置することができないと言われ、3病院目の大森にあったC総合病院を紹介され19時頃に辿り着きました。この時も引き摺っていましたが自分の脚で歩いていました。しかし、排泄障害は出始めていました。その場で入院となりました。
11月2日にはDリハビリテーション病院に転院となります。
10月23日は、長い長い1日となりました。付き添ってくれた妻にとっても。しかし、実は、これからが更に永い入院生活の始まりです。10月23日から翌3月30日の6カ月弱の入院でした。
この12月からコロナが出始め、1月中旬から家族の面会は出来なくなりました。
当時、屋形船でタクシー運転手の新年会でコロナ集団感染が発生しましたが、何と、この中にC病院の看護師が含まれており、病院は完全封鎖となりました。
今は、排泄は95%くらいコントロールできています。しかし、残りの5%は、ご想像通りです。人としての尊厳を大きく傷付ける事態が偶に発生します。
貴サイトを全て見ておりませんが、障害年金に付いては触れられていますか?入院中に障害者手帳に付いては説明を受けましたが、障害年金については入院中のソーシャルワーカーからも人事部からも一切、説明はありませんでした。
しかし、復職後、部署が変わり、社会保険労務士の勉強をするに際して、障害年金の事を知り、色々と調べるとそれに該当するのではないか?と思う様になりました。
結果として、障害年金を受給することが出来ました。更に障害年金は初診日から1年6か月後の障害状態を判断しますが、これを1年繰り上げ(障害認定日の特例)を認めて貰いました。障害年金は5年が時効です。
この病気になった方は、急性期において日々を過ごすことだけで目一杯なので年金のことまで気が廻らないのが事実だと思います。
2024.7.8
金曜日に定期検診があり、私の主治医に「体操のお兄さんが脊髄梗塞になってしましました。私と同じですよね。」と問うと、
「広義の意味では同じだけど、あなたの場合は脊髄内出血。脊髄梗塞はとても珍しい病気だけど、脊髄内出血はもっと珍しい病気。」と言われました。
T11付近で出血が徐々に広がり、脊髄がむくみ始め、症状も徐々に現れたとの事でした。