masumiさんの場合(発症から現在まで)
<L1~L2脊髄梗塞・59歳・2020.2.21発症(58歳)・埼玉県川口市在住>

2020年2月21日
 
この日は横浜で作業(立ったりしゃがんだり)中、昼食を済ませ14時頃から足がだるくなり2週間程前同じ作業をした時には何ともなかったのにと思っていました
 
16時には作業を終え 駅で30分くらい寄り道をしてから電車に乗り帰宅の途に
 
横浜駅で座わり 西川口駅からは自宅まで自転車に乗りましたが 向かい風でもないのにペダルが重く自宅の外階段は手すりにつかまって上りました(18時45分)
 
筋肉痛だと思いお風呂が沸くのを待ってすぐに入りましたが湯船に浸かっても楽にはならず両足全体がチクチク痛み始め、せっかく入ったのだからと頭と体を洗い早々に入浴を終えました
 
20時ベッドで横になっても痛みのせいで掛布団が重くて掛けられず とにかく今までに経験したことのない刺すような痛みが治まるのを待ちました
 
22時30分 両足全体が足が攣った時の様な痛みになり その時点では痛みがあっても捕まれば歩くことができたのでベッドから出て少し屈伸をしてみたりしましたが変わりなく、それから両足先が痺れ始めました
 
2月22日
 
痛みに耐えながら朝になって病院に行くにはどうすればいいのか等と色々手順を考えましたが痛みは増していく一方で救急車を呼ぶことにしました
 
私は一人暮らしなので先に両親が来てから救急車を要請するのが良いと思い玄関のU字ロックを解除しに行こうとしましたが足の痺れと痛みでどうやっても立ち上がることができず仕方なく床に滑り落ちて玄関までクッションごと手の力で移動しました
 
傘を使ってU字ロックを解除し 取り敢えず用をたしてからと思い トイレに手摺等の捕まる物は無く 何とか便座に腰掛けましたが お尻には座っている感覚がありませんでした
 
尿の出る気配は無く 便器を覗くと大きい方が出ていました
ウォシュレットを使っても洗っている感覚は無く既に麻痺が始まっていたようです
 
便座に座った状態で下着とパジャマのズボンを穿こうとしましたが両脚に力が入らず体を傾けても片側の太股さえ浮かすことができず結局便座からずり落ちてしまいました
 
両親が来てから救急車を呼び救急隊員に玄関で突然歩けなくなった経緯を説明し3人がかりで外階段を下り救急車内で状態確認と質疑応答を受けました
 
❍ 両足全体が痛み 特に膝下から足裏の痺れが強い
 
❍ 先端の尖った物で触った時 脚全体の部位はわかるが足裏、特に左足の感覚が鈍い
 
❍ 膝下は内側より外側の方が感覚が鈍い
 
❍ 足首と足指先は自分で動かすことができる
 
❍ 痛みはあるが上半身を起こしたり膝を立てたりすることができる
 
❍ 上半身には特に異常はみられない
 
取り敢えず外科的処置のできる戸田中央総合病院に搬送されました
 
病状を説明し血液採取を待つ間に手が触れたパジャマのズボンが濡れていることに気付き肛門検査を受けましたが全く感覚がありませんでした
 
レントゲン・CT・MRI撮影後、緊急手術の可能性もあるので鎮痛剤や水分補給はできませんでした
 
11時過ぎ 造影剤使用のCT・MRI撮影
 
腰と膝下の痛みが強く 外科的な要因でないとわかり痛み止めの座薬を挿入ましたが何も感じず 両足の痺れと麻痺が強くなり足首から先が動かせなくなっていました
 
14時 脊髄梗塞の可能性が高いが確実ではないと診断
 
15時 さいたま赤十字病院に転院することになり腰が痛いので少し横向きの状態で病院の救急車で転院し、血液検査・レントゲン撮影 膀胱留置カテーテルはやはり感覚はありませんでした
 
16時半 脳神経外科の先生から病状説明で脊髄梗塞、骨髄の炎症、何らかの免疫異常等の可能性があり、色々な検査で判断するとのことでした
 
 ヘパリンの24時間投与と脱水症状を抑える点滴開始
 やっと水分補給と食事の許可がおりました
 
18時 夕食を少し食べ、弾性ストッキングを穿き就寝
   
下半身と腰の痛みが強くよく眠れず
 
2月23日
 
朝食後 看護師さんの手を借りて初めて車椅子に乗る
 
立ち上がる時に左方向に捻じれやすく足の裏の感覚が鈍いが、捕まっていれば少し立つことができる。1時間程、車椅子に座る 
 
    脳神経内科の先生の指示でヘパリン停止
 
14時   脳脊髄液検査の為、腰椎穿刺
 
      初めの麻酔注射が少し痛いだけで髄液採取後は特に痛みもありませんでした
1回目の腰椎穿刺をしてから腰の痛みが噓のように無くなり、それも麻痺によるものだったようです
 
余談ですが入院中、3回腰椎穿刺をしましたが髄液採取に20分程かかるので どの位の量を採取しているのか先生に尋ねたところ15ccと知り、大さじ1杯か少ないなとちょっと驚きました
試技が見えないので太い注射器でたくさん採っていると想像していました
髄液の色も無色透明とは思いもしませんでした
検査後、ヘパリン投与再開
 
2月24日           
 
4時  睡眠中 左膝下に圧がかかったように感じ、足首が動いたような気がしたので見てみると左足首が勝手にピクピク動いていました
ピクピクは次第に大きくなり 無意識ですがまるでリズムをとっているような感じに動き、後に自分の意思で左足首が動かせるようになっても退院後の8月末頃まで続いていました
 
2月25日 
 
リハビリ1日目の平行棒で歩行訓練(体を支えてもらいながら) 左足は自分で思う以上に大きく踏み出してしまい、右足は制御が難しく、結局 腕の力で歩いているようでした
 
立っている時の足裏の感覚は始めの頃はバランスボールに乗っている様でしたが それが高下駄から厚底靴へと変わっていきました
 
今でも足裏はぼわっとしていて痺れの強い時は足首からギプスを着けてその中で足の指を動かしているような感じで、夜中にトイレで手を洗う時にゆらゆらと足元が不安定になる事があります
 
2月27~29日 ステロイドパルス療法
 
 1日目 100mlを1時間で点滴 開始15分程で痛みが出て皮膚が赤黒く手のひらが真っ 赤になる
 
 点滴位置を変え再開するが同様の症状で中断 
 50mlを1時間で点滴に変更して再開するが20分で同様の症状で中断
 1時間後、残りを点滴 痛みを我慢して何とか1日目終了
 
 2日目 100mlを2時間で点滴 開始15分程で痛みが出る 点滴のパーツが当たる部位が痛む、3分の1を過ぎたあたりから痛みが強くなる
本を読んで気を紛らわそうとするが内容が頭に入らない
点滴後 微熱と血糖値の上昇がありインスリン注射
 
 3日目 2日目と同様に痛み出すが少し痛みに血管が慣れてきた気がする
 
    点滴後も昨日同様
    数値に変化が見られないのでステロイドパルス療法は1クールで終了
 
 

2021年10月10日現在・発症597日

・入院翌日には看護師さんの手を借り車椅子に座りました。

・5日目に救急病棟から脳神経内科の個室に移動し、ひとりで車椅子に乗ることができるようになり、日中は車椅子で過ごすことが多くなりました。

・11日目から朝ウブレチド1錠の服用を始め、尿意確認の為ウロキャップを着け尿意があるのを待ちましたが2時間後に取敢えずトイレに座り腹圧で排尿することができました。2日間、日中ウロキャップを着け尿意を感じたら車椅子でトイレに行き尿量を測るを繰り返し3日目でカテーテルを抜き めでたく紙パンツになりました。

トイレに行きたくなったら靴を履き 車椅子に乗り 点滴を連れて部屋のトイレに入り 手すりに捕まって片手でズボンと紙パンツを下げて座る、する事が多すぎて間に合わない。

トイレで紙パンツやズボンを交換する時は室内履きとは言え 床で靴を脱ぎ着替えなければならないので姉に頼んで滑り止めの着いた薄いマットを購入してベットの近くとトイレの中に敷き 靴を履かなくてトイレに行けるようにしました。

それでも間に合わず紙パンツを濡らしていましたが・・・。

1日に13回 (多い時には16回以上)もトイレに行くので これもリハビリと思いせっせと通い続けました。

急性期病院のリハビリの先生から「脊髄梗塞は車椅子に乗り移る事から始める人が多いですよ」と聞き、私は軽症だったと知りました。

泌尿器科の先生からは「自力で排泄できない人も多いから」と言われ 初めて尿意を感じた時はほっとしました。

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急性期病院の先生から転院前に「杖をついて歩けるようになるでしょう」言われ良かったと思いました。

車椅子を自由に操り松葉杖をついて少し歩ける状態でリハビリ病院に転院しました。

右足首が動かせないので右足を必要以上に上げないとつまずいてしまいます。足首が下がらない装具を転院前日に初めて装着して松葉杖で廊下を少し歩いてみました。

右足首が動くようにならなかったら装具を使うと歩き易くなりますよと先生から言われました。

リハビリ病院に転院した時、担当の先生から「入院期間は5ヶ月の予定です。どの位のつもりで来ましたか?」と聞かれて 私が「3ヶ月」と即答したところ「入院した期間分回復するので短いとそこまでしか回復しませんよ。「脊髄梗塞は6ヶ月入院できるからね」と笑顔で言われ啞然としました。

リハビリ病院に転院して真っ先に言われたのが「排泄コントロールを出来るようにならないと帰れませんよ」でした。

リハビリ病院で膀胱の造影検査をしてウブレチドの服用は終了しました。

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それでも予定より早い79日(トータルで111日、覚え易いです)で退院できたのは、私の入院直後に東京の急性期病院から移動してきた理学療法士の先生が私の担当になり 「出来そうな事はどんどん試してみましょう」 という感じの先生だった事

退院の基準を満たす点数がギリギリでしたが、このまま6ケ月入院しても点数はさほど上がらないのでまだ若い(?)から自宅に戻って生活した方がリハビリになる
こんな理由からだと思います。

退院する条件の一つが週1回訪問リハビリを受ける事。その為には身障者手帳(年齢で介護保険を使えない)が必要で原則発症して6ヶ月経過していないと申請できないのですが諸事情を考慮して1年後に再認定の条件付きで身体障害者4級になりました。

今年の5月、始めに入院していた急性期病院で診断書を書いてもらったのですが、市役所の方で審査に時間がかかり、8月下旬に等級決定の連絡が入り下肢3級に昇格しました。先生の診断にちょっとおまけがあったかもしれません。

3級になると重度身体障害者医療費受給者となり医療費(訪問リハビリも)の自己負担がなくなると市役所で、説明を受け4級と3級の間にこんなに違いがあるとは思いもしませんでした。

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元気な時には何でもなかった事が私でもちょっと二の足を踏むようになってしまいました。毎年 姉と日展を見に行ってたのですが、「どれ位の距離が歩けるかわからないし、川口から電車に乗って新国立美術館にたどり着いても作品を見て歩くのはどう考えても無理!」と言う私に、姉は「コロナだからどっちみち行かれないでしょ」と答えました。

今はテレビを観て色々な所に出掛けた気分に浸っています。

運動嫌いの私は自分に甘いので自宅でするリハビリ(軽い腹筋とスクワット程度) を色々理由をつけてはサボってしまいます。

入院初日から痛みはありましたが膝から上は自力で動かすことができたので自分の病気を冷静に受け入れ落ち込む事はありませんでした。私が平気な顔で笑っているのを見て お手伝いをしていた先生がかえって心配になったそうです。

10歳の時に交通事故に遭い歩けなくなっていたかもと考えると その後48年も歩けたのだから。そして椅子に腰掛けて手先を使って物づくりすることが好きだったからかもしれません。ただ高齢の両親(父86歳・母83歳)に心配をかけて申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その交通事故の時、左大腿骨頸部骨折で関節が少し変形している為200m程歩くと左足の付根が痛くなり、800m弱の両親の家に行くときはウォーキングポールで歩いています。

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入院当初は手で運転するのかなと思っていましたが幸い歩けるようになり左足用に改造した車を運転しています。腰から下に異常感覚があり自力で指の動かせる左足は少し良いのですが右足首から足裏の痺れとこわばりが強くほぐす事ができません。

眠気と足元のふらつきが出てしまうので18時頃にプレガバリンOD錠75mgを1錠服用しています。(痺れを我慢できる程度の効き目)

膀胱造影検査で過敏に反応して収縮する為トイレが近い事がわかり入院中1ヶ月服用していたウブレチド錠を中止しました。膀胱の収縮を抑える薬は服用していない為、トイレが近く常に吸水パット、外出時は紙パンツ+吸水パットを使用しています。

元々眠りが浅く就寝中も2時間ごとにトイレに起きるのですが1回目のトイレに行くまでに無自覚のまま1回分排尿しています。

起床から11時前までが特に忙しく立て続けに1時間で3回トイレに行く事もありひとりで苦笑しています。

排便コントロールもなかなか難しく今はミヤBM錠を毎食後2錠と酸化マグネシウム錠を朝昼1錠服用していますが緊急時にはレシカルボン坐剤を使う事もあります。

長くなりましたが以上が私の今の状態です。

2022.1.15

私は400m位は杖1本、それ以上になるとウォーキングポールで歩きます。
ウォーキングポールは両手がふさがり、歩くだけなら良いのですが立って何かしたい時には不向きです。

退院後、2回バスに乗りましたが、杖を2種類持っては行かれないので 乗車前と乗車後の歩く距離が短くないとちょっと…。
杖をついて人混みを歩くのは苦手なのでまだ電車に乗ったこどがありません。

車で買い物に行き、お店の中はカートを押して歩くので大丈夫なのですが、デパートでは食料品売り場はカートで歩けても、他の売り場は車椅子を借りないと無理かなと思い行かれずにいます。

この間、母達と空のカートを押してフードコートに行き、うどんを受け取ってから「あっ」と思ったのですが、何とかカートの縁にお盆ごと載せられたので慎重にカートを押し席のすぐそそばでまで辿り着いた所で椅子の脚に当たりうどんをひっくり返してしまいました。

後から考えるといつもは誰かと一緒に買い運んで貰っていました。
かえって杖1本の方が運べたかもしれません。

介護用品売り場で靴を試着しようと思った時、椅子が無くて店員さんに「椅子が置いてないと困ります」と言ったら「すみません、これしか無いのですが」とプラスチック製の小さい折り畳み踏み台が出てきました。

不安定な棚に捕まることもできず 靴べらも無く、大変だったので介護用品売り場こそ気配りが必要なのにと痛感しました。

自宅の外階段は左手で杖をつき右手で柵を掴みながら上がりますが、買った物は右肩から下げるので3.5㎏を超えると足取りが重くなりそれ以上は2度に分けて運びます。

トイレットペーパーは持ち手が短く手に下げて階段を上がれないので8ロールで1.5倍のコンパクトサイズを購入することにしています。

このメールを打っている間に急にお腹が鳴って急いでトイレに行きましたが、どうやらお腹が緩かったようで紙パンツの中に出てしまい後処理が大変でした。

このような時は下着をおろすまで中がどうなっているかわかりません。自発的に排尿・排泄が出来ると言ってもやはり排泄障害があるのでたまに失敗することがありますが、出ないより良いからと気に病まないことにしています。

丸2年が経過

2022.02.21

昨年中旬頃から膝から下の痺れやこわばりが強くなり ずっと気になっていたので、脊髄梗塞発症直後に入院していた病院で2月14日にMRI検査を受けました。
入院時の2020年3月10日、リハビリ病院退院後の2020年8月21日と今回の画像を比較して 病巣に特に変化はありませんでした。
以前は感じなかった痛みや痺れが少しわかるようになったからと 考えていいようです。発症した時の痛みとは全く違うので大丈夫と思っていましたが 実際に画像を見比べ安心しました。

入院当初、ロキソニンを服用していましたが、痛みが軽くなってきたので17日目から服用をやめました。リハビリ病院に転院してから平日3時間・土日1時間のリハビリを受けるうちに 夕方になると足の痺れが強くなったと感じるようになり、発症52日目(リハビリ病院20日目)からリリカを服用する事にしました。

私の場合、リリカを服用すると足元がふらつき、眠気が強く出てしまうので夕方75mgを1錠です。自宅に戻って1週間程過ぎた頃、リリカを飲み忘れ就寝前に気付きましたが だいぶ痺れが落ち着いてきたと感じていたのでそのまま寝て、2時間後に足の痛みで目が覚め我慢できずリリカを飲みました。

昨年11月に就寝後に痛み出し「リリカを飲んだのに何でもこんなに痛いのだろう」と思い、午前中に車の運転をするので追加に1錠飲むことができず 代わりにロキソニンを服用した直後、リリカを飲み忘れていた事を思い出しました。(ロキソニンは全く効きませんでした)

リリカはたいして効いていないと思っていましたが 飲み忘れるととんでもない事になると身に沁みました。それからは飲み忘れないように薬に10日分ずつ、例えば2/1~2/10と書いたシールを貼るようにしています。

埼玉県川口市から山形県天童市まで、サッカー観戦日帰り旅行

2022.4.27のお便り

3回目のワクチン接種の副反応で1ヶ月半以上、足のこわばりが強くなり その日の足の状態を気にしながら生活していました。4月になってやっと接種前の感じに近づいてきたようです。 

23日に脊髄梗塞発症後、初めての遠出をしました。
大宮vs山形の試合観戦の為ですが、いつも立ち寄るお店が何軒かあり私はそちらの方が楽しみです。前日、姉夫婦が私を迎えに来て 姉の家で1泊。

翌朝5時に出発して 途中でトイレ休憩を取りながら945分に山形県天童市の腰掛庵に到着しました。右足にオルトップを装着し靴を履いた状態で後部座席に深く座っていると すぐに足が痺れたりこわばったりしてしまうのですが 今回は家にあったアキレス腱ストレッチ器具を車に持ち込み足首を90度位に保てたので長時間のドライブでも快適でした。

どうやら足首が90度以上に広がると足先を床に着けることができず、足の裏がこわばってしまうようです。トイレやお店の中は杖1本で歩きましたが、駐車場からサッカー場までの長距離?は ウオーキングポールを使いました。

21時過ぎに家に着き車を降りた時には かなり疲れて足が重いと感じましたが 楽しい1日でした。おトイレ事情も紙パンツ+吸水パットで何とかジーンズを濡らすことなく、ほっとしました。

 川尻さんのホームページで装具を着け歩行器を使い 歩いている動画を拝見して 私が歩き始めた頃のことを思い出しました。私も歩行訓練の当初(装具は無し)、平行棒でPTさんに後ろから支えられ9割位 腕の力で歩いている感じでよくドラマで観るシーンとは全然違う!と思いました。始めは端まで行くと腰掛け、往復することはできませんでしたが、次第にPTさんの介助の力が少なくなり往復することができるようなりました。

17日目に川尻さんの様な歩行器を使い、初めて自分の足で歩いていると感じました。リハビリ病院に転院する前日、右足に短い装具を着けて歩きました。足先の下がりが少し軽減され歩き易かったのですが、その時点では自分で足首を動かせるようにならなかった場合に必要な器具ですと説明されました。

リハビリ病院に移ってからもどの程度回復するかわからないのでリハビリの時には病院の装具をお借りして発症から90日目に私の装具(既製品です)が手元に届きました。足首の状態はその時と変わりがないので使い続けています。

 リハビリ病院入院中に装具を作ることは しなかったのですね。川尻さんの進歩が速く、陰でどれほどの訓練を積んでいるのかと考えると 私の不甲斐無さが恥ずかしいです。歩くことが楽しくて 逸る気持ちはよくわかりますが、くれぐれも頑張り過ぎないようにしてくださいね。

少し自信がついてくると気が緩み、歩幅が大きくなったり足が変な角度(私の場合は内股)に出てしまい つまずくなんて事もあるのでお気を付けて。ホームページとブログ 楽しみにしています。

アクセシブルツインルームについて

2022.10.9に頂いたお便りです。

昨日偶然NHKの『Dearにっぽん痛みをこらえるその理由は~和歌山・那智勝浦~』を観ました。全国から患者がやってくる日本で一番厳しいと言われるリハビリ病院のお話しです。
3年前に頸髄損傷で両手足麻痺でほぼ寝たきり状態だった男性が3か月のリハビリを終え、退院後は近くの病院でリハビリを続けながら独りで暮らし、今ではひとりでトイレに行かれるようになったそうです。脳梗塞で半身麻痺の女性は車椅子で脚の筋力が落ちて歩けない状態でしたが杖を使い歩けるようになりました。

NHKオンデマンドで見逃し配信もありますが、再放送は1013日(木)PM500530 BS1です。

 今年2月、MRI検査の日に雪が降ると予報されていたので、前日に病院近くのホテルに宿泊しました。妹と一緒にツインを予約したのですが、ホテルの都合でバージョンアップされていました。部屋に入ると右側が広い廊下で、突き当りは間口の広い曇りガラスの引き戸でした。中は左に洗面台と便器、間に広い空間があり右にバスタブが配置されていました。

洗面台と便器の間に可動式の手摺、壁にも手摺、バスタブの壁にも手摺が2か所付いていました。緊急呼び出しボタンも便器の近く、少し離れた低い位置、バスタブの壁の3か所に付いていました。私は入浴時、椅子に座らないと着替えができないのですが シャワーカーテンを開けるとバスタブの横に50㎝くらいの座れるスペースがあり、そこに腰掛けて着替えました。

ホテルに宿泊するのは久し振りだったので最近のホテルは随分使い勝手が良くなっているんだなと思い快適に過ごしました。

帰宅してからネットで検索したところ、アクセシブルツインで『ご高齢の方、車椅子をご利用の方をはじめ全ての方のご利用に配慮して設計されたバリアフリー構造の部屋』に宿泊したようです。

部屋の平面図には入口のドアとクローゼット前、バスルーム内、廊下からベッドに回り込む所の3か所が直径150㎝と記載されていました。車椅子でも自由に動き回れスペースだと思います。このようなアクセシブルツインの部屋数がもっと増えると良いですね。

このところ寒暖の差が激しい日が続いていますが、お身体お大事に楽しい旅行を満喫して下さい。

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私が宿泊したホテルは メトロポリタンさいたま新都心 です。ホームページの「客室のご案内」で 客室内360°と平面図が見られます。洋服掛けも2つあり 片方はバーに棒が付いていて手前に引き下げることができました。 宿泊客は1000円で朝食(バイキング)を食べられます。
なかなか美味しくてお勧めです

メトロポリタンさいたま新都心のアクセシブルルーム画像です。
JRグループのホテル、料金は2名税込み¥36,000

<発症後33ヶ月経過した私の現状です。>                                                                     2023.5.31

病院で111日間過ごし自宅に戻ってからもうすぐ丸3年になります。

退院当初より足元がしっかりしてきたので 躓きそうになっても何とか転ばすに踏み止まれる様になりましたが、今も外では一番小さいオルトップを装着して杖1本で歩いています。

夜中トイレに行く時は脚が強張っているので躓かないように杖を使います。
右足首から先は相変わらず少ししか自分で動かすことができません。

両脚の痺れや強張りによる痛みは強くなっていますが、夕方プレガバリン(リリカ)75mg1錠服用し凌いでいます。薬を服用した後は痺れや痛みは軽減され楽になり夕食の支度もできますが、夕食後にテレビを見ながら10分でもうたた寝をすると痛みが出ます。

短時間の眠りでも膝から下に痛みが出るので昼寝はしません。
朝から足の痺れが強く足元が不安な時は運転を控え外出しないようにしています。

 排泄障害の為、トイレに行く回数も多く「あっ出そうと」思った直後にはもう出てしまうので、日常的に紙パンツ+薄手の吸水パット(170cc)を使用しています。

車で外出する時は頻繫にトイレに行かれないので吸水パットを230300ccに変えますが1時間弱で吸水パットは太巻きの様になってしまいます。暑くなるとトイレの回数も減り自宅では下着に吸水パットで過ごしますが、間に合わず濡らしてしまう事もあります。

排尿はほぼ音を頼りにしているので、外出先で取り敢えず寄って行こうかなという時などは、音姫や周りの騒音で出たのか終わったのかが判りずらいです。

 排便コントロールの為、毎食後にミヤBM 2錠と朝昼食後に酸化マグネシウム錠330mg 1錠を服用しています。薬を服用し始めてから、ほぼ毎日排便はありますが「今にも出そうな感じがして急いでトイレに行っても出なかった」を繰り返して「やっと出た」という日がほとんどです。

出ても出なくても出た直後でも常にお尻に何かある感じがして、すっきりする事はありません。
私の場合、なかなか出ないと脚の痺れや強張りがより強くなる様な気がします。
昨日は結局出なかったので 夜中に脚の痛みが強くてよく眠れず仕方なく早めに起床しました。

起きてしばらくすると痛みは落ち着いてきますが、痺れや強張りは残っています。
このメールを打って間にも、何度もトイレに通っています。

子供の頃から家族にも排泄の話をする事無く過ごしてきましたが、脊髄梗塞を発症してから「出たとか出ないとか」恥ずかしげもなく笑って言えるようになってしまいました。

今にも出そうだけど外出しなければならない時には新レシカルボン坐剤を使用する事もあります。座薬を使ってもしっかり出る訳ではなく、急場しのぎの感じです。
排泄障害はずっとこんな状態であまり変わりはありません。

2023.6.10

入院当初は麻痺があり膀胱留置カテーテルを使っていました。ウブレチドを服用し、次第に自力で排尿ができるようになり、その後リハビリ病院の膀胱造影検査で排泄する圧力が強いのでウブレチドは必要ないとわかりました。

担当の医師からトイレに行く回数が多くて大変だったら圧力を抑える薬もあると言われましたが、「なるべく薬は飲みたくないのでリハビリのつもりでトイレに通います」と答え薬は使っていません。川尻さんのホームページで膀胱弛緩剤の事が掲載された時、担当だった同年配の女性看護師さんに排尿の経緯を伝え、トイレに行く回数が多くても対処できているなら薬を使わず様子をみる事にしました。

どう云う訳か私は、入院当初から紙おむつ(紙パンツになった時は出世したと思いましたが)を使う事に全く抵抗がありませんでした。今でも日常的に紙パンツを履いている事に違和感はありません。

昨日は3か月に1回の訪問看護でした。今の看護師さんは男性ですが2回目の面談です。
体調の聞き取りの中で排泄障害の話になり、排泄に関しては気持ちの問題が一番大きく、今の状況が気にならずにいられるなら、身体の為にもなるべく薬を服用を控えた方が良いでしょうと言われました。お勤めをしていたらこんな事は言ってられませんが、無職なので…。

 先日の福祉サービスの件で書き忘れたので追記します。入院中に作ったオルトップは一番小さいタイプで24,910円でした。後から17,437円の助成があったので 実質7,473円です。

リハビリ病院で父が持っていた杖1(T字杖)で歩行訓練をしましたが、あまり長い距離を歩く事ができず、担当の理学療法士の先生の勧めで少し長く歩く為にウォーキング用ポールを使うようになりました。

これを使うと姿勢良く歩け、私の場合 左足の負担が軽減されます。
退院後、ウォーキング用ポールを購入しましたが助成金申請はしていません。
SPORTS AUTHORITYで購入したミズノ製のウォーキング用ポールはグリップの根元にツバが付いているので手が滑らず握りやすくて気に入っています。
最近、折り畳み式の品も必要になりネットで購入しました。

長崎に行ってきました! 2023.7.3

617日・18日に長崎に行きました。

脊髄梗塞を発症してから初めての飛行機です。

今回も姉夫婦と一緒で前日から姉の家に泊まり早朝、義兄の車で羽田に。

姉夫婦はいつも空港の駐車場を利用しているので、なるべく歩かなくて済む所に駐車するつもりが思っていたより混ん

いたので予定と違う階に駐車することになりました。

左手に杖、右手でスーツケースを転がしながらANAのカウンターまで歩き、長く歩けないので車椅子を使用したいと伝え

車椅子を借りました。

今回はバスで移動しタラップを使い飛行機に乗り込む為、階段が昇れるかの確認があり、最後に乗り込む事、長崎到着後は

最後に退席し。出口に車椅子を用意している事など説明を受け、機内でなるべく歩かなくて済むように座席を18列目から

5列目(3名分)に交換してくれました。

搭乗口までは姉が車椅子を押し搭乗口からバスに乗るまで(短距離でしたが)係りの方に押してもらいました。

タラップは私の家の外階段より急でしたが左手に杖、右手で手摺を伝い昇りました。

機内で杖は折り畳んで座席前のポケットに入れ、トイレには杖をついて行きました。

車椅子に乗る前の移動で脚が少し疲れていましたが、飛行中は特に痺れが強くなることもなく快適でした。

飛行機の出口に車椅子が用意してありレンタカーの窓口近くのトイレまで係りの方に車椅子を押してもらいました。

 

レンタカーで姉夫婦一押しの茂木の料亭二見へ。

コロナ前と昨年は雨で「天気が良ければ窓から雲仙普賢岳が見えるのですが…」と言われたそうですが、今回は晴天。

「やっと見られるねと」部屋に入りましたが靄がかかりうっすらと見えるかなという感じでした。

お料理は期待を裏切らずとても美味しくお腹いっぱい戴きました。

茂木のびわも楽しみにしていましたが、仲居さんのお話では先週で終わってしまい、今年は冷害で収穫量が少なかった

そうです。

途中、道の駅やスーパーに寄りましたが残念ながら柑橘類にも巡り合えませんでした。

 

諫早のホテルに15時過ぎに着き姉達は新しくなった諫早駅を見に行きましたが、私はサッカー場に行く時間まで休憩。

部屋で汗を流し、早めにプレガバリン75mg1錠服用しました

タクシーでサッカー場(陸上競技場)に行きウォーキング用ポールで歩きましたがまだ薬の効きが弱く、客席までは距離があり

階段を昇らなくてはならないので、売店に寄る余裕はありませんでした。

周囲に人がいない方が楽なのでゴール裏の2階席(階段を2回昇るので実質3階です)まで行きましたが、最前列に座るには

手摺の無い急な階段を降りなければならず、危ないので1段だけ降りて最後列に座りました。

客席に行くエレベーターも有るようですが私のエリアからは遠く、そこまで移動するのは無理なので使いませんでした。

一番近いトイレも1階分の階段を降ります。

試合後、薬が効いていたのでタクシー乗り場まで歩くのは行きより少し楽でしたが、タクシーが来るまでの30分弱立って

いられず植え込みの低い縁石に座っていましたが、低すぎて立ち上がるのが大変でした。

以前はお尻を浮かしてしゃがんでいる事が苦も無く出来たのですが、今は出来なくなり不便です。

ホテルで一眠りして040にプレガバリン75mgを追加で1服用しました。

普段は夕方1錠だけですが、日中たくさん歩いた時など夜中に痺れを我慢できない時は追加する事があります。

 

翌日は8時にホテルを出発し1時間程で佐賀県小城市の村岡総本舗へ。

白小豆の産地は北海道と備中と思っていましたが、丹波産も有ると教わりました。

小城羊羹とシベリアを大量購入、上品な甘さで どの品も美味しく、お土産としてとても喜ばれました。

次に磁器製の鳥居や狛犬がある有田町の陶山(すえやま又は、とうざん)神社へ。

参道の石段を上がり切るとJR九州佐世保線の線路が目の前を横切り、遮断機の無い踏切を渡って境内に入ります。

手前の駐車場から緩い坂道の参道をウォーキング用ポールで歩き、急な石段は右手にウォーキング用ポール、左手で手摺を

伝い昇りましたが最後の4段位に手摺が無く、一足先に境内に入っていた姉に「手摺が無くて昇れないから戻るね」と声を

かけたところ、私を追い越して踏切を渡った女性が「せっかくここまで昇ったのだから」と言って手を貸してくれました。

磁器製の鳥居は境内の中の石段の上にあるので私はベンチに座って下から眺めました。

姉達を待っている間に警報機が鳴り2両編成の電車が通過しましたが思ったよりスピードが出ていました。

有田町は通り沿いに有田焼のお店が並んでいましたが見て歩けないので近くの香蘭社本店に寄りました。

敷地内に駐車場、1階はショールーム、2階は古陶磁陳列館で古い作品が多数展示してあり歴史を感じました。

近くで昼食を済ませお隣の長崎県波佐見町へ。

産地偽装問題がきっかけで有田焼を名乗れなくなり波佐見焼と表記するようになったそうです。

昨年ネットで波佐見焼の急須を購入し使い勝手が良いので興味がありました。

有田町同様に波佐見町にも多くの窯元が軒を連ねていましたが、多数の窯元が出品している陶芸の館へ。

観光スポットのようですが、内部は広く日用雑器の焼き物もたくさん置いてありました。

 

予定していた所を廻り終わったのでレンタカーを返却して長崎空港へ。

ANAのカウンターで早々に車椅子を借り自走で空港内の売店を見て回りましたが、久し振りの車椅子は目線が低く入院中の

病院内のコンビニを思い出しました。

何となくレジに行くのが面倒で姉に会計を頼んでしまいました。

帰りは先に飛行機に乗り、羽田では最後に退席し出口に車椅子を用意している事、などの説明を受けました。

座席の交換も問われましたが、予約していたトイレに近い後方の席に座りました。

飛行機の到着が遅れた為、待ち時間が長くなり搭乗ゲートの座席はいっぱいで、ずっと車椅子に座っていました。

搭乗口まで係りの方に車椅子を押してもらい機内ではCAの方が私の荷物を持ち座席まで先導してくれました。

薬は服用していましたが、脚の痺れが出る時間帯だったので座席でもぞもぞしていました。

トイレに入った時にちょうどシートベルト着用サインが点灯したので、使用中にCAの方から「大丈夫ですか?」と2回も

声かけがあり、常に気に掛けて貰っていると感じました。

羽田に到着後、最後に退席し飛行機の出口から係りの方に車椅子を押してもらいました。

緩い下り坂になっている所では後ろ向きになり、段差のある所では声掛けがありとても丁寧です。

私の他に自前の車椅子で後ろにリュックを掛けた一人旅の女の子がいましたが、後から出口に来てあっという間に姿が

見えなくなりました、逞しいです。

荷物が出てくるのを待ちながら少し雑談をしましたが、最近はコロナ前より人出が多くなり混雑しているそうです。

杖をつけば歩けるのに申し訳ないようですが駐車場まで距離があるのでとても助かりました。

 

23時過ぎに私の家に着き、荷物を玄関まで運んで貰いました。

疲れていたので外階段を昇る足どりがちょっと重く、簡単に荷解きをしてお茶を飲み一息ついてから就寝しました。

翌日の月曜日は朝から脚の痺れがありましたが、母にお土産を届け一緒に昼食を摂り(ぼぼ毎日の日課です)14過ぎに

美容室まで送りそのまま帰宅しました。

火曜日はまだ脚の痺れが残っているので運転に気を付けながら妹にお土産を届ける為に母と最寄りの駅まで行き、1540から

訪問リハビリ(いつもより軽く)を受け帰宅。

水曜日は車で20分弱の知人宅までお土産を届けて、夕方母と近くのスーパーへ買い物に行ってから帰宅しましたが、外階段を

昇る足どりは前日より軽くなっていました。

外階段は毎日の脚の疲れ具合のバロメーターになっています。

 

今回、色々な面でサポートを受け飛行機を使い出掛ける事が出来ました。

羽田空港は思っていたより広くて車椅子なしでは無理だなと改めて実感しました。

 

《2023.10.29 ZOOMにて伺った近況を記しておきます》

家の中では杖なしで歩けているが、外に出る時は一番短いオルトップを付けて杖を使って歩く。
普段は歩いて800m程の所にある、ご実家にお母様を訪ね、お買い物などをして、お母様のお世話をして自宅に戻ると言った生活だそうです。

 

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