2022年5月8日病気発症
朝6時に起床し、近くの駐車場の草取りを終えて、足の魚の目の治療のため皮膚科を受診して自宅に戻りました。
昼食の準備を終えて、主人をベッドから車いすに移乗の際、腰から足にかけて電流が走ったようなピリピリ感を感じて瞬くすると、足がぐにゃぐにゃなり立てなくなりました。
気が付くと多量の尿漏れを何度も繰り返し、ただ事ではないことを感じました。近くの公立病院に救急に入るものの、MRIの画像データーを持って大きな病院に行くことになりました。
膀胱に尿が多量に溜まっているとのことですが、全く感じることはありませんでした。
紹介された病院で、一旦入院となり、脊髄液を取ったり採血、点滴、造影剤を入れてのMRIなどの検査を経て脊髄梗塞の診断が下りました。
TH10/11/12/L1の場所でした。治療は保存治療。治る病気ではないと。
6日間程の入院を終えて、療養病院のリハビリ病棟に転院となりました。何も食べたくなくて、どれだけ泣いたか……便も出ず浣腸、摘便、バルーンの管を入れられ、こんなにみじめな思いをしてまで、生きたくない。その時の思いは、今までの私は死んだのだ。と思うことでした。
リハビリ病院ではOT、PTが毎日午前午後に40分ずつ入りました。私の場合おしりから後ろの部分と足の裏に感覚がなく、立つには腕を使って立つことしかできません。膝から下はゴムの長靴で固められた感覚です。珍しい病気なので、リハビリも色々と試されながらでした。
ストレッチと平行棒を歩く事、退院まじかには、手すりと㍜杖を使っての歩行と歩行器を使っての歩行が少しできるようになり、退院することができました。退院時は勿論車いすでした。介護保険が使えない年齢なので、障害者手帳2級の取得が出来ました。電動車いすの購入もできました。
リハビリ病院は高齢者病院なので、メンタルはどんどん下がり、毎日これからの人生を毎日考えては泣いている毎日でした。周りの方たちも、これは乗り越えないといけない試練なんだと。
突然、身体が不自由になり、人生が変わるんですから。かける言葉もないのでしょうね。
やっと自宅に戻ってからは、週2の訪問リハビリ、週1の家事援助、週1の訪問看護、移動支援を入れていただき、家の中は、完全に車いすの新しい生活スタイルが始まりました。
体調は2年を経過した現在も、特にほぼほぼ変化はなく、体重が-10からプラス10に、足の痺れ、痛み、灼熱感、尿道口の内部深部の違和感は増してきています。
神経の薬を頑固拒否しているので、この辛さは自業自得です。
車椅子の生活なので、足のトラブルはつきもので、踵の褥瘡を2回ほどできてしまい、巻き爪からも腫瘍が出来てしまい治療中です。抗生剤が効かない菌で、治療には時間がかかりそうです。
尿の排泄には、コンパクトスピーディーカテーテルの女性用を使って、時間を決めて自己導尿をしています。以前から水分を多くとる方なので、完璧にはいかないので、オムツ生活は必須です。
排便は基本二日に1回座薬を入れ、週1、訪問看護で浣腸をしてもらっています。訪問リハビリは、ピックアップ型の歩行器を使って少しだけ歩行の練習とスクワット、ベッドでのマッサージです。毎日自主トレでストレッチと体操はしています。体がとても硬かったのですが、前屈は開脚をして付くようになりました。筋力が落ちてしまい、足首が細くなり
下肢の筋力維持のために、トレーニングセンターに通う予定です。病気になってから見た夢が歩けるようになった夢だったので、希望を捨てずに。その夢以来、夢を見ていません。
私の場合はおしりから、足先まで裏側の感覚がないので、立った時のバランスが前に行きがちです。今まで、歩くこと、立つことを意識したことがなかったのに。生まれた赤ちゃんでも自然に立って歩けるのに、と悲しくなりました。
今でこそ聞いたことがある病名ですが、発症当時はドクターも保存治療。情報も乏しく不安な日々を送っていましたが、このホームページのおかげで、元気をいただき、お仲間の輪に入れていただけ、感謝しております。一人でも多くの方と情報共有が出来る事が、有難く、大変助かっております。
何よりも、前向きな気持ちになれた事がとても嬉しいです。
出来ないこと、諦めなければならないことが沢山ですが、夢を持つこと、やりたいことをやる。
この考えに従って、第二の人生を楽しく歩んでいきたいです。
参考
薬:アムロジピン 2.5mg 就寝時 1錠
マグミット錠 330mg 朝、夕 1錠
ガスモチン錠 5mg 朝、夕 1錠
ビオスリー 6錠 朝、夕 3錠
外用薬:グリセリン浣腸60mg 週1回
新レシカルボン座薬 自己判断
アズノール軟膏 足の踵
プロペト おしり