yasukoさんの場合(発症から現在まで)
<脊髄梗塞・71歳・1965.2発症(当時小学六年生)、12歳・埼玉県さいたま市在住>

小学六年生の2月、学校で体育が終わり教室に入って少ししたら下半身の痺れと痛みがあり、何だろうと思っているうちに立つ事も歩く事もできなくなってしまいました。

入院中のリハビリでどうにかやっと歩けるようになりましたが、膀胱直腸障害の後遺症が残ってしまいました。

半年後に退院し、そのまま卒業して中学に行っても良いと言われましたが、6年生をもう一度やって、きちんと卒業して中学の勉強を一からしたいと思い、学校側もそれを受け入れてくれましたし、クラスのみんなも普通に接してくれました。
後日母から聞いた話では、養護学校に行った方が良いのではと言われたそうですが、このまま普通学校でと頼んだそうです。

そしておそらく結婚もできないだろうから何か一人で生きていく手立てを考えなければと、中学の頃から考えて薬剤師になろうと決め、そこに向かって進みました。
幸運な事もいくつかあり希望通り薬剤師になりましたが、大学の研究室に残って欲しいと言われ、その間に夫と出会い結婚しました。でも、これだって夫の両親は反対……。
まぁすったもんだの末、夫が思いを通し結婚。障害を持ちながら結婚して子供も孫もいて、何と幸せなと思います。

<2022.2.5時点>

今は右足が反張膝になっているので装具(CBブレース)を付け杖2本で歩いています。
外は勾配があったり人がどいてくれなかったりで怖くて歩けません。コロナもありますし。
車に乗ってマーケットや病院、図書館に行く程度です。

私の住んでいる所には県立で障がい者が無料で使えるスポーツセンターがあります。週に2、3回は行っていたのにコロナで使えなくなり、それから筋力の低下が著しく、これでは歩けなくなると思い家で運動するようにしていますが、なかなか思うようにいきません。

でも、子ども達も(脊髄梗塞になっても子どもは授かり2人産みました)結婚し、今は老夫婦2人。家事はしなければならないのでそれも少しはリハビリになっていると思います。

老化と後遺症が駆け足でやってきています。書ききれない程多くの事を乗り越えてきましたし、今も次々思わぬことが起こります。何十年経ってもなぜこうなってしまったのかと思います。

脊髄梗塞で歩けなくなるのも不便で辛いものがありますが、それより排泄の苦労は最初から何十年経っても改善されないどころか大変になっています。私は排尿は腹圧をかけて出しますがそれでも残尿はだいぶあります。それが多くなったら、導尿するように言われています。排便は日にちを決めて下剤を飲みます。その日は全く外出できません。いつ出るか何回出るかも分かりませんから。

これってけっこう日常生活に支障をきたしますし、精神的にもスッキリとしないと落ち込みます。簡単に誰かと会う約束も出来ません。
今は休んでいますが、トレーニングに行ってた時は脊髄損傷の方がけっこういて、排便には苦労してその日は何時間もトイレに座っている方と言ってる方もいました。

もっと脊髄梗塞の事を多くの人に知って貰いたいと思います。診断されるまでに時間がかかり治療法も確立されていないのに後遺症はほんとに辛いものです。

《2024.2.27のメールより》

12才で一瞬にして下半身不随になって、その時は何が起こったか全く理解できませんでしたし、その頃は原因も病名も分かりませんでした。
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年前にMRIを撮って脊髄梗塞とやっと診断されました。

親が普通学級に通えるようにしてくれたおかげで、どこへ行っても親友と呼べる人ができ大学へ行って資格も取り結婚する気もなく、これで一人でも安心して生活できると思っていましたが、夫と出会い親の反対を押しきって結婚し、子どもも二人、狭骨盤だったので帝王切開でしたが無事に3000g以上で産まれました。そして親4人も私が看とりました。

外は2本杖で歩きますが家の中でも杖が必要になりこの先どうなるか不安な毎日です。

今飲んでいる薬は、メコバラミン(VB12)、VD
そして下剤は漢方の麻子仁丸です。整腸剤や酸化マグネシウムはどうも合わなくて使っていませんいろんな薬を試して、今は麻子仁丸でコントロールできています。
たまに体調の変化で出なかったり緩くなったりはあります。
そんなことで時々憂鬱になることがあります。

下肢は指先の痺れがだんだん又出てきています。
それと右足の反張膝は少しづつ進んでいて装具無しでは痛くて歩けません。
それと私は形成手術を2回してます。
片方の足の指が曲がった状態で伸びなくなり、関節を伸びた状態で固定。
そして反対の足首は曲がり過ぎて歩きづらいので腱移行をしてます
これは大変な思いをしましたがあまり効果はありませんでした。

【2024.3.9】

LINEでつながり、お話していましたが、ビデオ電話で楽しくお話ができました。

yasukoさんのお話では、保健室からいったん自宅に連れて帰ってもらい、その後タクシーで病院に向かわれたようです。担当医は内科で60年前の事ですが、前(脊髄)動脈症候群との診断だったとか。調べてみると症状は脊髄梗塞と同じなので、まだその頃脊髄梗塞が認知されていなかったことが分かります。

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