とめさんの場合(発症から現在まで)
<脊髄梗塞・2024.4.22発症(発症時52歳)・1971年11月生まれ・愛知県在住>

《発症時》 2024.04.22
 
デスクワークをしていた夕方6時。
さて帰ろうかなと椅子から立ち上がるも両脚に力が入らずふにゃふにゃして立てなくなる。
その翌日は元々、3次救急病院に通っていた受診日だったので状況を説明すると即入院となる。
 
真っ先にMRIの検査を告げられるも閉所恐怖症なので出来ない。それでも頭のMRIだけは装置のリング内径が大きい方で前に検査出来たので試してみるもダメだった。その後も点滴や注射で眠らされて2回ほど試みるも寝ていて記憶がないのに音に反応してダメだったらしい。
 
毎週のように色々な検査をするものの原因が分からずセカンドオピニオンを希望すると大学病院を勧められてそこで脊髄梗塞と判明する。
 
発症してから大学病院までの期間、ひと月半。
その間、本来は3次救急病院に継続入院が望ましいと先生に言われていたけど、病名も判明せず週3日程度の検査しかしないのであれば帰ることを希望し入退院を毎週のように繰り返しました。
 
大学病院では脊髄梗塞と判明したものの発症から時間が経ち過ぎていて、脳梗塞と同じで発症してすぐにリハビリを開始しないと治る確率は著しく低く、でももしかしたらの可能性としてリハビリを行なってみるのもいいと告げられるも、ほとんど治る可能性は無いという前提でお話されていて、絶望感でいっぱいだったけどリハビリに縋るしか道がなくリハビリを希望する。
 
「この時の身体の状況」
腰から下は両脚共に麻痺。足首だけが何故かわずかばかり反応する。
背中の下の方と腰の痛み。
お尻の痛みと痺れが酷く仰向けで寝られず、ずっとうつ伏せ寝。座る事も出来ない。
温度が感じない。
排尿・排便は何となく感じるもののあやしいので尿漏れパッドやオムツを使用。
 
《3次救急病院(急性期病院)》 2024.07.08
 
大学病院で診断された後、元々の3次救急病院で次の転院先(リハビリ病院)の検討のために継続入院する。
転院するまで3週間。
その間は痛み止めの点滴と薬をいろいろ試すも副作用が強くて断念。
アセトアミノフェン600mgを効かないのに飲み続ける。
血液検査でビタミンB12欠乏ということが分かりメコバラミン錠を飲むことになる。
ビタミンB12が足りないと末梢神経に影響を及ぼす可能性があるらしいがそれほど低い値ではないようで安心する。
 
リハビリは毎日40分。
仰向けで脚上げしようとしても微動だにしなかった脚の踵が1㎝浮いた!
平行棒で身体を勢いよくひねるとその反動で脚が振られるのでそれで脚が前に出て歩いてる気になる。この時は前に出せても3㎝とか。
脚は上がらないので歩くという行為には到底及ばない。1㎝の段差も脚を上げられない。
救急病院を退院する頃に平行棒3mを10分掛けて歩く。歩くと言うより腕の力で引き摺っていたと思う。もちろん理学療法士さんの補助あり。
 
《リハビリ病院に転院》 2024.07.26
 
リハビリ3コマ 3時間
転院してから2週間後の担当医との面談で、今の状態からは改善しないと断定され、これ以上リハビリを続けても、、、と退院を促される。
限りなく治る見込みはないと言われたけど、
治ると信じて入院リハビリは続けることにした。
 
「リハビリ」
座った状態で踵を5㎝上げて10秒止めることが出来るようになる。
いろんな種類の歩行器を提案されるがタイヤが付いてると脚が前に出る前に歩行器が進んでしまい支えられなくて断念。
車椅子→元々登山で使用していた杖(ストック)を使用する事になる。
病室のトイレにストックで行けるようになる。ただし5分くらいかかるので尿意を感じる前に行かないと間に合わない。
この頃から尿意を少し感じるようになるがまだ我慢が出来ない。尿意を感じさせるために腹筋を頑張る。
 
薬を変更するたびに副作用で吐き続けたり血便が出たり、リハビリをすれば筋肉痛で動けなくなりその度にリハビリ時間がマッサージに変わる。
 
9月
2本のストックで病院内を半周出来るようになるが、まだ不安定で前屈みなので歩いているというよりは引き摺っている。
この頃にスニーカーをサンダルにしたら歩けなくなる。
理学療法士さんが原因究明に奔走する。
脚が不安定なのでサンダルにするとスニーカーのように脚を自然と跳ね上げてくれないからアシストがなくなるらしい。スニーカーを洗濯したから乾くまで数日間の獄トレの日々。
この事から真っ直ぐに立ち手を離すと後ろに倒れていくことが判明。それと共にスロープが登れない事が分かった。療法士さんと話し土踏まずに分厚いクッションを入れ込むと少し歩き易くなった。
 
10月末の退院まで
1日3時間のリハビリ以外に自主トレ&ストレッチを朝と夜で3時間、お昼のリハビリの合間にも歩行と階段昇降。スロープは相変わらず苦手。
自主トレで自転車やトレッドミル(勾配をつけて)を練習する。負荷は低い。
ストックで院外を歩けるようになる。
歩けるようになったのと同時に脚の付け根(股関節)と腰の両脇とお尻の両脇が猛烈に痛くなる。
椅子に座る練習も必要だったが入院中は1時間が限界だった。
 
 
《退院》 2024.10.31
 
杖ありで院外を1kmくらいは歩けるようになったのに外の世界は全然違った。
真っ直ぐに止まる事なくただ歩くだけなら歩けるが、日常では止まって歩くを繰り返し人を避けたりあれやこれやを見るために頭を動かしその度に踏ん張っているのだと思う。
そんな当たり前の行動が続くと脚が重たくなり痛くなり歩けなくなり倒れ込む。そして次の日は無能と化す。
止まって歩くを繰り返す代表格がスーパーなどの買い物でした。
退院後、始めての冬を迎えて脚が硬くなり動かすとすぐに痛みだし歩くことが億劫になったりもしました。
 
病気になり何度も心が折れてその度に周りの人たちに救われました。本当に感謝しています。
また入院中はずっと前向きになれるようなYouTubeを聴いて、絶対に歩けるようになって2025年の夏にはあの山の頂上に立つんだと思い込ませ信じて頑張れたと思います。
 
《2025.4月》現在
 
・脚の脱力感は完全には戻っていない。特に腰から膝までが主に脱力感が酷く、太ももに力が入らなくなるので脚が上がらなくなり歩行困難になる。
・歩行はふらつくので1本のストック使用。(距離制限あり)もう1本はリュックに入れておく。(ストックは折り畳み式)
・スロープは上るのも下るのも難儀します。
・お尻の痛みと痺れがあり、仰向け寝が出来ず椅子や車椅子に長時間座っている事が困難です。
・脚の付け根と腰の両脇とお尻の両脇の痛み。(脚を使えば使うほど痛みが激しくなる)
・温度が感じにくい。(感じるところもある)
・温度が感じにくいのに腰から下は常に寒さを感じる。
・尿意は完全には戻っていないけど、こまめにトイレに行けば尿漏れパットで大丈夫になる。
・キッチンに立ち料理が出来るようになったが、上半身は健康なのでシンクの後ろにある電子レンジやトースターにクルッと回って手を伸ばすと下半身はついて来れないので度々火傷をする。
・車の運転が出来るが片道30分が限界。
・公共交通機関には怖くて乗れない。
・障害者手帳2級(保険適用治療は医療費無料)
・介護保険は適用されないので通所リハビリをいつまで続けられるか不安です。
・通所リハビリで加圧機を使用するようになり、その日だけ脚は楽になり少し重たい物も持てるようになる。(加圧機、日東工器ドクターメドマー、高くて買えそうもない°_°)
・旅と登山が趣味でしたがどちらも行けず。
 
車椅子を使用すれば脚は楽な事は分かっているけど、車椅子ばかり使っていると将来完全に歩けなくなるかもしれないという恐怖と、車椅子を使えば今まで行きたくても我慢していた所に行けるという現実とのせめぎ合いで悩んでいます。
 
現在は2種類の痛み止めを服用
・ノイロトロピン錠
・アセトアミノフェン
 
《将来》
 
病気になる3年前から登山を始めて、やっと3年目でそこそこの山に行けると思っていた矢先の病気でした。入院中はまた山に行くというモチベーションで辛い痛いリハビリも頑張れたと思います。
当初は2025年夏に高い山に登ることを目標としてましたが難しそうなので、来年の2026年夏には登れるようになるよう日々自主トレの毎日です。

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