あかりさんの場合(発症から現在まで)
<脊髄梗塞L2~3・20歳・2010.10(7歳)発症・鹿児島県在住>

《発症時》

発症は小学2年生でした。
休日、自宅でソファーの上でふざけて遊んで際に床に転倒し背中を打ちました。

とは言っても、ソファー自体は大した高さのものではなく、外傷を負うような怪我ではありませんでした。

しばらくして「背中が痛い」と母に訴え、湿布を貼ってもらいました。
正直どれくらい痛かったのかは記憶に残っていないのですが、母によれば床に座り込んで数十分にわたって異様なまでに「痛い、痛い」と訴え続けたと言います。

その後、痛みが落ち着いたとき何か変だと思い、体育座りのようになっていた自分の足を手で軽く押したら、何の抵抗もなくすとんと床に落ちました。
その瞬間だけは鮮明に覚えています。

そのときには完全麻痺・感覚消失の状態になっていて、足をつねってみても一切感じず、動かすこともできなくなっていました。

母に「歩けない。触ってもわからない」と訴えたものの、父がそれを信じなかった(信じられなくても当然でしょうが、、)ため救急車を呼ばず、車で休日診療の病院に連れていかれました。

そこでは対応できないと言われ、救急センターに運ばれてMRIなどの検査を行いましたが、何も分からず。

その後大学病院に救急車で運ばれました。

会う先生会う先生みんなに、「ソファーから落ちたことが直接の原因ではないと思う。検査をしたら確かに血管が詰まっていることは分かるが、なぜ突然こうなったのか分からない。こんなに幼い子供の脊髄梗塞の発症例は、今まで聞いたことがない」と言われ首を傾げられました。結局いまだに原因は分かっていません。

実はそこから数日ほど全く記憶がなく、気が付いたら病室のベッドの上で窓の外をぼんやりと眺めていました。入院中はあまり辛いとか悲しいとか言った感情はなく、ただ状況が理解できないままでした。

そこからリハビリ病院に転院し、通算4か月程度入院してリハビリをしたものの、障がいの状態は一切改善しませんでした。

現在も完全麻痺・感覚消失の状態は続いています。多分今後改善することもないと思います。

 

小学校》

小学校は運よく元の学校に復学できました。
校長先生がいい人だったこと、加えて入学前ではなく入学後の発症だったことから「受け入れよう」という方向で話を進めてくださいました。
特に学校でもいじめにあうこともなく、楽しく過ごせました。

このころはまだ「成長すれば治るかもしれない。よくなるかもしれない」という医師の言葉を信じていたため、運動会の季節のたびに「来年こそは運動会出れるかな」と考えていました。周囲の子供も戸惑いはありつつも、ある意味遠慮なく接してきてくれたため特段壁もありませんでした。

 

中学校》

地元の中学校はバリアフリーではなく、加えてとてもあれている学校だったため受験をして私立の中学校に入学しました。本当は第一志望の学校は別にあったのですが、バリアフリーではなく受け入れられないとのことで受験自体を断念しました。

第二志望の学校ではありましたが、先生方も親切でとても面倒を見てくださりました。部活動にも参加させてもらい、他の生徒さんと同じように学校生活を過ごしました。
ただ、修学旅行だけは普通に行くことはできませんでした。

どうしても参加したいと我儘を言い、母と弟と一緒に最終日だけ参加しました。
部活の大会も宿泊はできず、自分だけ日帰りでした。
そういった行事の後は決まって拗ねていました。
ですが、とても幸せな学校生活を過ごさせていただきました。

 

 《高校》

高校もバリアフリーな学校の中から選択しましたが、今度は心から行きたいと思える学校に行くことができました。
先生方も優しかったのですが、体力的についていけず欠席が多くはありました。
修学旅行にも親同伴ではなく自分一人で行かせていただきました。

とても楽しくて幸せな思い出ではあるのですが、ある意味そこで障がいのない同級生との違いを痛感したところもかなりあります。
それまで、同級生の学外での姿を目の当たりにしたことがなかったため、「みんなは補助がなくてもバスに乗れる」「エレベーターがなくても困らない」「一人でどこかに行くことができる」といった事実に直面して真剣に進路に悩みました。

なんで自分だけ、と数か月の間、毎晩のようにベッドで泣いてばかりいました。
しかしながら、制限の中に生きていることはみんな同じである、自分だけではないのだと気づいてようやく受け入れることができるようになりました。
発症してから10年経って、初めて治ることを諦めることができました。

 

《大学》

現在大学2年生です。
大学自体は教育機関の中ではこの上なくバリアフリーな場所だと思います。
ここ数年の流れではありますが、障がいのある学生を支援するセンターも設置されており、手厚くサポートして頂いています。

構内も若干の段差こそあれ、小高校に比べればとても過ごしやすい場所です。
受験勉強への支援を受けにくいという点で若干の不平等はあるかもしれませんが、入学してからは一番フラットに扱ってもらえる場所だと思います。

専攻は工学なのですが、他にも関心のある教育関係の分野の研究をされている先生のところで授業にもぐったり研究のお手伝いをさせていただいたりと楽しく過ごしています。

 病気に関連したことだと、側弯・拘縮が悪化しており病院にかかるようになりました。側弯に関しては、今度の長期休みに入院して治療する予定です。

 日常の困りごととして排泄のコントロールを上げましたが、ある程度慣れていてコントロールはできている状態です。
ただ、あまり健康によくないコントロールの仕方(水分の摂取量を減らすなど)を頻繁に行っているのはよくないのだろうとは感じています。

たまに失敗するとやはり気にはしますし、それもあって外では水分をほとんど取らないようにしています。(特に冬は汗をかかないので)
他に困っていることは、とくにはないです。

時々障がいのない友人たちが気軽に遊びに行ったり、飲みに行ったり、夜出かけたりする姿を見るとうらやましくなるときもありますが、そこまで深刻に悩むことはないです。願わくば、もう一度自分の足で立ってみたいなあとは思いますが、正直それが叶うことは少なくとも数年のうちにないであろうことは受け入れています。とは言え、IPS細胞が脊髄損傷の治療法の開発に向けて研究されているというニュースを聞くと心躍りますね。。。

※小学校中学校への通学については送迎はありましたが付き添いはありませんでした。

※発症以来導尿・摘便をしております。導尿に関しては過活動膀胱に使用するためのお薬を服薬しております。摘便については、薬での調整はしておらず、自然に食事や水分摂取のみで調整しています。

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