2020年8月1日に家族4人で、長岡京市の自宅から兵庫県竹野浜海水浴場へ海水浴に行き、旅館で胸と背中とお腹が痛いと言って、正露丸を飲んだが収まらず救急搬送され、急性大動脈解離離Stanford A型(心臓に近い上行大動脈が裂ける)と診断され、その日に手術を決断させられ、緊急手術となりました。その後、脊髄梗塞と診断されました。
左下半身麻痺:常にジーンと痺れている。熱い・冷たい・痛いは分かる。
浮腫み有。
人差し指~小指が常に括られているような感覚有。
下腹部麻痺:直腸排尿障害:自己導尿、おならか便か分かりにくい。
右足感覚異常:熱い・冷たい・痛いが分からない。
[発症日]2020.08.01 大動脈解離 Stanford A型 発症。
緊急手術 8/1~8/2:13時間。
2020.08.05 ICUで、目覚める? ECMO装着してたらしい。
左足が変だし、下腹部も変な感覚がありました。
倒れた8/1と7/31の記憶が、全くありません。
2020.08.07 一般病棟へ。
左下半身麻痺して、力が入らないから立てなかったですね。
ベッドに腰かけて、尿を出そうとして、便失禁。
2020.08.08 ベッドで寝ていて、カーテンを見ていると、真ん中だけが
近づいて来る。→ 後に脳梗塞も少しあると診断されました。
2020.08.14 MRI,CT検査。→
脊髄梗塞による下腹部麻痺、左下半身麻痺と診断されました。
2020.08.下旬 シャワー許可で、体を洗ってもらってる時に、右腰~右足先
まで、お湯の暖かさが分からないので、水をかけてもらっても
冷たさが分かりませんでした。→ 翌日、検査で痛みも分から
ない事が判明し、脊髄梗塞によるものと診断されました。
2020.09.上旬 リハビリ開始。車椅子で移動。マッサージ等
2020.09.中旬 歩行器で歩ける様になってきました。
病棟の廊下を、1日2,000歩を目標に歩く練習を2回に分けて
行なうようにしていました。
2020.09.下旬 杖で歩く練習開始。
病棟の廊下を、1日3,000歩を目標に歩く練習を2回に分けて
行なうようにしていました。
2020.10.15 入院先の公立豊岡病院組合立 豊岡病院から京都岡本記念病院へ
リハビリをメインで転院しました。
2020.11.15 退院
この頃には、杖無しで歩けるようになっていました。
心臓リハビリで週1回通院→2022.02月まで。
心臓血管外科に月1回通院→2021.04月以降半年に1回通院。
大動脈解離 Stanford B型が、背中側にある為経過観察。
泌尿器科に月1回通院→2021.06月以降2ヶ月に1回通院。
自己導尿のカテーテル等の処方の為。
(2022.05中旬まで自宅療養。)
2021.06.上旬 エムスリー株式会社 CaNoWの企画でグランピング。
下記は、その時の記事のURLです。
https://canow.com/2021/11/10/wish023/
https://canow.com/group/article044/
2022.05.23 週4日 10時~16時の間で、障害者枠の事務職(パート)で働き
始めました。
2022.07.23 新型コロナに感染し、8/10まで自宅療養。
7/25に右膝に力が入らなくなり、痛くは無いがビリビリ感が強く
感じる様になり、杖無しでは歩けなくなりました。
右膝の異常は、新型コロナの後遺症かと思っていましたが、その
後、12月上旬に原因が膝関節内の骨粗しょう症と診断され、自己
注射「テリボン」治療となりました。
2022.12.17~18 妻と新幹線と在来線特急で、米子旅行。
2023.05.26~29 妻と飛行機で、函館旅行。
[今困っている事]
下腹部麻痺も常にジーンって感じがあって、おならか便か分かりにくいのも変わっていないので、パートの職場で出そうになると、冷や汗がでます。
退院後、外出時での便失禁(大噴火)が2回あるので、とても怖いです。
昨年の11月からは、大噴火はありませんが、小噴火は3回程ありますから・・・・・
下痢止めの「ストッパ」と「ガスピタン」は、常時手放さず持っています。
左足の浮腫みが少し酷くなってきている事。現在は、右膝のビリビリ感は少しはありますが、杖無しで歩けるようになりましたが、外出時には、「転ばぬ先の杖」の意味合いで、杖は手放せていません。
左下半身麻痺は、常にジーンと痺れていて、人差し指~小指が常に括られているような感覚は変わっていません。
右足の感覚異常も、熱い・冷たい・痛いが分からないままですね。
[これからの夢やりたい事]
舞鶴や敦賀の日本海で、海釣りをしたいと思っています。できれば、少しでも走れるようになりたいとは思っていますが・・・・・
昨年夏に結婚した次女に孫ができるまでと、同時期に一人暮らしを始めた長女が結婚するまでは、なんとか生きていたいと思っています。
そう思うのは、今年2月に「笑福亭笑瓶」さんが2回目の大動脈解離を発症して、亡くなったからです。2015年に大動脈解離 Stanford B型を発症して手術をせずに、8年後に再度発症したので、私も解離部分が残っているから、爆弾を抱えて生活しているような感じで、あと5年かぁって思うと怖いのです。
入院中は、ノートパソコンで大動脈解離や脊髄梗塞の事を検索し、自分の症状と同じような事例が出てこなかったので、自分の記録としてFacebookに少し残しただけでした。
6/24に川尻さんのホームページを見た時に、凄く感動させて頂き、自分の経験でも役に立つのかなって思いメールさせて頂きました。
2023.6.27浮腫みの件は、左足のふくらはぎが「パンパン」です (笑)左の足裏は、常に何かを踏んづけているような感覚がありますが、浮腫んではいませんね。それから、便失禁の大噴火2回は、・1度目は退院後、初めての通院時自分で車を運転して帰ってきて車を降りる時に急に出るって制御ができず、やらかしました。紙おむつを履いていたので、ズボンとかに被害はありませんでした w(゜o゜)w・2度目は、退院後半年経って、スーパーへ買い物に行って(この時も自動車)帰る時にスーパーの出口付近で急にきて、抵抗はしたものの負けちゃいました( ノД`)この時は、普通のボクサーパンツを履いていたので、漏らしながらなんとか車までたどり着き、トランクにビニール袋の大きいのがあったので、腰に巻きそして運転席にも敷いて、自宅まで戻り、玄関でビニール袋の上で処理をしました。その時の靴、靴下、ズボンは当然!使用不可能!!その日以来、今日まで紙おむつ(アテント 超うすパンツ)です!※退院後、警察署の交通課に行って、とりあえず自動車の運転は、左足に力が入るから、オートマチック車は運転しても問題ないからOKと警察署でお墨付きをもらいました。でも、障害者マークは付けましたね。脊髄梗塞って言っても、頚椎、胸椎、腰椎、仙椎の場所で、症状が違う事を今回初めて知りました。自分がどの場所の障害なのか、手術先の病院で聞いたような気がしますが、忘れました ( ̄□ ̄;)!!今さらですが、とても大事な事だったんですね・・・・・まあ、症状から考えると、T9ーT11間かな?大動脈解離が背中側に残っている事が一番のショックで、その時は「脊髄梗塞」って聞いたことが無かったので、左下半身が麻痺してても軽く考えていたのだと思います。自分の大動脈解離 Stanford A型に関しては、心臓の大動脈弁の置換(機械弁)、2ヶ所の人工血管置換手術(ステントグラフト)との事で、2,000万円程の費用(保険適用無しで)でした・・・・漫画の「ブラックジャック」かい!って思いましたね (@ ̄□ ̄@;)!!手術をして下さった先生曰く、「大動脈弁を取り換えたので障害者1級だよ」って事で、身体障害者手帳は【心臓機能障害(1級)】。