脊髄梗塞発症から2年

薬を止めるタイミング

11月17日:昨日泌尿器科で相談した結果、リハビリ病院に移る前に処方してもらっていたジスチグミンとエブランチルカプセルを止めることにした。この薬は両方とも尿を出やすくする薬で、最近は250mlも溜まらないで漏れてしまう事が多くなっていた。

3、4ヶ月前からこの薬どうなんでしょう?と担当医に言っていたのに、問題ないとの返事だった。下半身が麻痺していて自力排尿できない場合、膀胱が大きくなって1000ml溜まることもあった。その時は出やすくする薬を使うのだろうが、改善してくると当然薬も変わってくるはず。今回はや止める事を前提にして話したところ「あー、川尻さんは導尿だから必要ないね」と一種類ではなく両方止めていいとのこと。唖然とした。

その後:薬を止めて2、3日で排尿回数は劇的に減り驚いた。下部にピリピリとした我慢できないシグナルがあり、すぐにトイレに行っても漏れてしまう事を繰り返していたのに、コーヒーや朝食で水分をたくさん取った午前中でも6時から12時の間に2回か3回で済むということは、時間的にも間隔が伸びているということになる。

1日9回~10回だった回数が7回~8回になったことで、ストレスが大きく軽減したし、失敗が少なくなって行動にも変化が出てくると思う。

一歩、そしてまた一歩

12月9日:10月は自力排便の希望が膨らむ月だったが、一転11月は力んでも自力ではできなくなってしまった。この病気の特徴で、行きつ戻りつしながら改善するのは分かっているものの、なかなか手ごわい。これからも諦めずに頑張ろう。

気づくと痛み止めで日常飲んでるリリカ以外にトラマールを飲むことが少なくなった。
自分の感覚で
痛いけど気を紛らわせて我慢できるレベル3、薬を飲みたくなる痛みはレベル5、薬を飲んで横になって我慢するレベルは8、泣き叫ぶ痛みは10と考えている。
そのレベルがいつの間にか低くなりつつある、これもまた行きつ戻りつだろうけれど。

 

12月18日:発症後丸2年になった16日は無口のまま通り過ぎた感じがする。この日常が私の日常になったということだ。タイミングとして歩行器を使い立つ練習を始めた日ということにする。自力便は定着しなかったが、制御不能な就寝時の失敗はしなくなって丸2ヶ月になる。

寝る時もリハビリパンツを履かず、他のもので代用できる日が多くなっている。
便失禁が
月に1回から1ヶ月半に1回になって今2ヶ月になったということは、まったくなくならないかもしれないが、大きな進歩と言える。

発症当時歩けなくていいから排泄だけは何とか管理できるようにしたいと切に望んだ。
その望みは2年でかなった。今は歩行器を支えにして立っているが、足の力で支えているわけではない。手の力が95%と言える。これを少しづつ足に力が入って支えになれば行動範囲は大きく違ってくる。

右足は無理でも、左足1本で身体を支えて車に移乗したりすることができれば、出かけることも増えるだろう。あと2年でこの目標がかなったら何にもまして嬉しいだろう。

29日4ヶ月入院していたリハビリテーション病院のメイン担当だったPTさんとOTさんが遊びに来たいというので、夕食に招いた。シャンパンで乾杯し大いに盛り上がった。
私のような患者は初めてというが、私は私らしく、障害者になっても前向きにこれからも生きていく。

私の脊髄梗塞闘病記を1から35迄読んでいただき、誠にありがとうございました。
これを一区切りとし、2022年3年目からを活動の年にしていこうと思います。
今後は予後リポートやブログで状況をお伝えしていきます。旅行記等書けるようになるまで、日々コツコツリハビリをして頑張ります。川尻陽子

the end

 

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