身体障害者手帳の話

神様が与えた最後の仕事

神様が私に与えた最後の仕事は「どんな身体になっても人の役に立つことをしなさい。」ということだろうと思う。
夜中に何度もスマホで検索した記事を読み、自分だけではない事を知り、必要な知識を得ることで自分の向かう道を探していた。

自分の体験談を役立ててもらう方法はこれから考えるとして、脊髄損傷者の団体があるようなので、手紙を書くことにした。

脳梗塞の100分の1と言われる症例の少ない脊髄梗塞、突然訪れた下半身不随の症状に戸惑い、克服できなければどうなるのだろうと不安に陥り、最初にネットで調べたのが排泄コントロールで、第一の乗り越えるべき目標は排泄管理だった。

もちろん立つことも歩くこともできない。突然筋肉が消えてしまったような力のない両下肢を見ると、今後の生活が一変してしまう事は想像できたが、それよりまず人としての尊厳を保つためには、人の手を煩わせることなく排泄が自力で処理できるようになれるかが問題だった。退院してからも時間をかけて、少しずつ変化していくと思うので、あきらめずに頑張ろうと思う。

車への移乗

今日はPTのMさんが夫を呼んでいた。私がシャワーする時にプッシュアップバーを使って車椅子から昇降する時に手伝ってもらう為の練習をするつもりだったようだ。
手伝ってもらうというより、何かあった時の為に見ておいて欲しいということだろう。

先生が身体障害者手帳を早めに準備すると言ってくださったので、夫に頼んで地域福祉センターへ行ってもらった。いくつか助けになる特典があるようだ。まさか自分が身体障害者になるなんて夢にも思っていなかった。人生何があるか分からないものだ。

今日の一番の収穫は車椅子から車への移乗を試せたこと。PTさんとOTさんが見守る中、病院の車を駐車場に出してもらって試した。これができなければ、旅行に行くことはできない。生きる範囲がだんだん変わってくる。ともかくどうにかできると分かって良かった。どちらかというと力ずくだったような気がするが。笑

夕方あまりにも下半身がザワつくのでトイレに行くと、自力で便が出た。それでもザワつきが止まらない。痺れから来るものなのか、説明のしようのない身体の中の事で、これからも付き合っていかなければならないと思うと、気が重い。

ケアマネジャーから電話があって、訪問リハビリの担当は女性と男性のどちらがいいかと聞かれたので、男性と答えておいたが、男性だと私と同年代だが、それでもいいかというのでOKした。身体を触るので夫に気を使っているのだろう。

月曜と木曜の16時に60分の予定だという。今まで毎日180分を3回か4回に分けてやっていたので、物足りない気がするが、生活がリハビリになるだろう。

褥瘡(じょくそう)

昨夜はザワツキが止まらず、10時の消灯に合わせて導尿すると、夜中に目が覚めると思ったので、11時に導尿し眠前の薬を飲んで寝た。おかげで5時迄熟睡できた。
隣のベットの脳梗塞の人は、ずっと何か話していたが、気にしなければ眠れるものだ。

入院中に刺していた刺し子は12枚になった。窓際の窓の下に飾っていると、来た人がみんな感心してくれるので、嬉しい気分になれた。病気の話だけじゃなく、趣味の話や18年やってきた結婚相談の仕事についても、若い人たちのいい相談相手になれた。

この病院で私を担当してくれたPTさんとOTさんは数えてみたら15人だった。ほとんどが20代で、30代は珍しい。4ヶ月もの間若い人たちに囲まれて、大変なところから少しずつ力がついてきた。日常生活に戻ってもここでの生活はいい思い出になる事だろう。

まだリハビリパンツにする前、一日中下していたことがあった。そのせいでいつの間にかお尻に褥瘡のようなただれができた。いつも座っているので圧力がかかりっぱなしになって、傷がなかなか治らない。先生が回診してくれる時、看護師さん達もぞろぞろやってきて、恥ずかしいと思う間もなく、のぞき込んだり、写真を撮ったり、さらし者。笑

退院までには直さないと。
自分で旨く薬をぬって絆創膏をなることができないのだから。

退院まで一週間

電動車椅子で川沿い迄行って帰ってきた。運転は楽しいし、慎重を心がければ行動範囲も広がると思う。自宅には電動車椅子で帰ることになった。

今日もPTさんだけ4人入っている。左足の力が少しずつついてきて、寝た姿勢で膝を立てることができている。これからも訪問リハビリと自主トレを続けて、もっともっと動けるようになると信じたい。いや信じる。

ここへ来た時はまだ足に温度の感覚はなかったが、太ももまで温度を感じるようになって、今では何となく足先まで感じるようになる気がする。家に帰ったら足湯をやってみようと思う。この様子なら少しでも未来に期待が持てるというもの。

 

5月18日155日目(109日目):あと一週間で退院だと思うと、これからが新しい身体でのスタートになる訳で、準備の期間を5ヶ月貰ったと考えて、残り20年以上あるだろう人生をどう歩いていくのか、少々不安ではあるが一日一日を楽しく過ごしていこう。

周りからも「いよいよですね」と聞こえてくる。彼にも今日を最後にしてもらうことにした。人生初の長かった入院が残り1/4の新しい人生への準備だったんだと思う。

初めてのPTさんは同じ系列の五反田に出向していて、今月戻ったという。さすがのベテランさんで、やることが合理的で素早い。同じ40分でも密度が違う。もっと早く出会いたかった。人によっても違うのが分かったから、伸びしろはあるということだ。

私の中に新たに芽生えてきた意識がある。4ヶ月この病院でやってこれたことは、とても大きな進化であることは間違いない。ただ他の世界があることも確かで、リハビリも別の人に見てもらったり、別の病院にかかかることで薬も変わったりするのだろう。

今日のPTさんの話では、脊髄梗塞でももっと軽い人を担当していたことがあり、歩けるようになったという。今の状態がずっと続くわけではないと信じたい。人とは違うと分かっているが、いつまでも諦めないで希望を持っていよう。

真夜中の大失態

一昨日の昼、コロコロ便が続くので昼だけ整腸剤をやめてみた。変化がないので昨日の昼も止めてみた。力んでも出ないので夕方敵便をしたが、やっぱりコロコロ便だった。

ところが夜中3時前、どこから臭うのかたまらなく臭いので、ふともしかしてと思い、自分でなんとかできればと、濡れタオルとリハパンとパッドをもってトイレへ行ってみた。すでに車椅子にシミがついている。

この時点でお手上げだと思いベルを押す。来てくれたのは気のいい介護士の男の子。今更女性を、というつもりもなく手伝ってもらった。ビックリするほどの量で、拭いても拭いても濡れタオルに便が付く。「最終兵器を持ってくる!」と言ってシャワーボトルを持ってきてくれて、前は何とかキレイになったが後ろがなかなか見えない。

そして気づいた。まだ出ていたのだった。感覚がないということは、本当に情けない。
シーツを替えてもらう間、踏ん張って何とか処理したものの、まだ容量がつかめず、リハビリパンツはトイレで上げれないのに気づき、またベルを押すと女性の看護師さんが来てくれた。介護士さんが呼んでくれたようだ。

部屋に帰るとなんと4時、1時間もかかってしまった。家でなくて良かった。実験は病院でしなきゃねと言ってもらって、心が軽くなった。

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