発症から200日

ドアを一人で

このところ夫の体調が悪く、だるいという。昨夜は夕食時のビールもコップ半分しか飲まず、7時過ぎには寝室に入ってしまった。いつも結構ビールに焼酎にウイスキーと糖尿病とは思えない位飲むので、大丈夫なのかなと思っていた。

それなのに亡くなったお義母さんと同じように水を飲まない。もしかしたら脱水症状なのかもしれないと思う。とりあえずネットで経口補水液を注文しておいた。

年を取ると朝が早い。とういうのも彼は8時過ぎに、私は10時過ぎに寝るのだから当たり前と思う。今週は歯医者以外スケジュールがない。老後という年代になって、何も追われることがなくなったのだから、ゆったりとした時間も大切に使いたいと思う。

玄関のドアを一人で開けれるようになったということは、一人で出かけられるということだ。私が歯医者に行って薬局に寄って帰ってきたら、すでに買い物から帰ってきた夫が昼食を作っていた。

今日で6月も終わる。退院後1ヶ月でできたことは沢山ある。友人と会ったりレンタカーで出かけたりしたいと思っていたが、コロナ禍で、言い出せる雰囲気ではなくなった。

車椅子に17時間

お世話になったリハビリテーション病院にもデイルームに飾りたいとおっしゃっていた刺し子と手作り刺し子コースターを32枚送った。きっと喜んでくれると思う。

娘から遅ればせながら誕生日プレゼントとして、私がリクエストしたポーチを送ってもらった。アメリカも緊急事態でお店が開いている所が少ないという。2個送ってくれたので、早速病院に行くときのリュックに入れておくように。
一方に保険証とクレジットカードなどを入れ、もう一方にトイレで使う小物一式を入れた。

7月2日200日目:200日目かぁ~、慣れなきゃな。
外に出ることはめっきり少なくなったが、意外とブログのネタは多く、書いても書いても減って行かないから不思議だ。もともと文章を書くことが好きということは、些細な事を取り上げて出来事にすることができるからだろうと思う。こんな身体になっても一人でコツコツすることがあって良かったと思う。

暑さのせいか夫はめまいを起こしたり、元気が無かったり、困った。
私が旅行へ行けないので、楽しみをすべて無くした感じなのかもしれない。会員登録をして、ちょくちょく予定を立てていた旅行会社のパンフレットも届かなくしたようだ。
そんな中でも、ベランダの花だけは、楽しんで買い物に行き植え替えている。

大宮の弟が仕事の帰りに逆方向になるが来てくれた。彼にはずいぶんお世話になった。今までは姉として、できる限りの事はしてきたつもりだったが、これからはしてあげることも限られてしまう。少し残念に思う。

福祉用具の会社の人に車いす用のクッションを持ってきてもらった。退院したばかりの頃はどんな風になるのか分からなかった。朝6時から夜10時か11時迄一日の3/4は車椅子に座っている。足を下ろしていると血流が悪いので冷たくなるし、血栓ができるといけないので、あぐらをかいていることが多いが、筋肉がなくなり坐骨がいつも座面に当たっている感じがして、とても痛くなる。3タイプ持ってきてくれたので、試してみて決める事にした。

救急搬送された夫

二度寝をしたので起きたら6時半だった。夫が「天草の方は大雨で大変みたいよ」と言ったが、いつも母が「なんのことはなかったよ。」というので、ゆっくり構えていたら、弟からLINEが来て義妹の実家が床上浸水して近所に住む弟さんの所に避難したという。

母に電話をすると、玄関に水が入ってきて、履物がどこかに行ってしまった位だったという。踏み台の上あたりまでというから20㎝位だろう。
私が子供の頃床下浸水したのを覚えているから、50年ぶり位かも知れない。
温暖化が進んで異常気象だったり、地震が多く、日本はホントに災害の多い国だ。

その後、義妹のお母さんの家は30人ほどの人の手を借りて、何とか片付いたようだが、まだまだ雨は降り続く。誰でも他人事ではなく私事になってしまう時は必ず来る。

リハビリテーション病院の看護師長さんに送ったコースターは、I看護師さんにもMPTさんにも届いていた。LINEでこちらが問いかけての返信だったので、長野のとは若干違うなと思ったが、近くに質問のできる気軽な人達がいてくれて助かる。

7月7日205日目:夫は今朝から体調が悪いようで、あまり声をかけないでと言う。コーヒーは入れてくれたが、リクライニングチェアに座っている私の所へ持ってきてくれる程の気は回らないようなので、寝ることを勧めた。私はカロリーメイトとフルーツを食べ薬を飲んだ。こんな時の為に何か買って置かなければと思う。

ネットでドラマを見ていたら、バタンと音がした。イヤホンをしていても聞こえる大きな音だったので、ベットルームへ行ってみると、床に大の字になって倒れている。

「救急車を呼ぼうか?」と呼びかける「待って!」との返事。経口補水液を飲ませるが、あまり飲めない。最初は熱中症かと思ったが、しばらく様子を見ているとフラフラしながらトイレに行った。下血しているから貧血だろうと本人は言う。近くの病院に歩いて行くか、タクシーを呼んでかかり付けの医療センターへ行こうとするが、めまいで立ち上げることができない。

そのまま入院かもしれないから持っていくものを準備するという。取ってきて欲しいものをいうので、車椅子で手伝った。洗面道具や薬や必要なものをエコバックに入れた。救急車が来てくれて、車椅子で連れて行ってくれた。
洗濯物をベランダから中へ入れてくれたので助かった。

車椅子では内ベランダの窓まで行けないので、救急隊の人に頼んで閉めてもらった。
ドアが閉まる時、泣きそうになった。
今日は特別蒸し暑い気がした。とにかく落ち着いて連絡を待とう。

14:30メールを送ったが、1時間経っても連絡がない。薬を飲む為に昼食を取ろうと冷蔵庫を覗くと、1日2日は大丈夫そうだが、ポストへ行く用もあるので明日にしよう。

夕方6時迄ちょっと眠っていたらメールが届いていた。
大腸内からの出血だったらしい。このところ体調が悪そうだったのは、以前から出血していて貧血になっていたのだろう。体質なのだそうだ。そう言われたら15年前大倉山に住んでいた時も、真っ青な顔をして倒れ、その時は救急車を呼ぼうとしたら止められて、朝まで待って病院に行ったら、そのまま入院だったのを覚えている。

一人生活

7月8日206日目:昨夜いつもより遅く寝たからか、目が覚めたのは9時近くだった。
のんびりのんびり食事をし、何もしないままお昼が来る、外が暗いので雨が降る前にポストに行かなければならないと思い、ごみも持って出た。

ドキドキしながらの一人ドアだったが、なんとか行けることが分かった。一人でしばらくなら大丈夫なように、帰りにスーパーに寄りシリアル、牛乳、チーズ、ヨーグルト、ソイジョイ、カロリーメイトと冷凍食品も買った。なんだか非常食のようだ。笑

スーパーではみんな優しく、女の人より男の人の方がやってあげようという気持ちが強いように感じた。缶ビールが欲しいなと思ったが、手の届かない棚にあるのをスーツを着た男性に取ってもらった。郵便物も取り、しばらくして来た宅配にも対応できた。

夜中寝苦しくて初めてエアコンをつけた。
翌朝は7時に一人でシャワーにチャレンジした。もちろんシャワー自体は一人だったが準備から片付け迄自分でやったのは初めてだったが、問題なくできた。

シリアルを食べて薬を飲もうとしたら、娘からラインが来てるのを見て、パパの誕生日プレゼントを心配してるので、「入院した」と告げるとビデオ電話がかかってきた。

私が入院していた1月に彼も別の病院で糖尿の治療で入院し、4月には肝臓の組織検査の為に入院したが、私が退院してから初めての事なので、一人で大丈夫?と心配してくれた。報告しなくても良いと思ったが、一応ケアマネージャーにも知らせたら介護補助の人に来てもらわなくて大丈夫ですか?と言われた。何とか一人で生きていけそうだ。

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