病気と向き合う

親不孝

6時前オムツの交換に来てくれた。発病前から数えて5日分の排泄物を薬で出す。
2日にわたって二人係で処理してもらう。自分でも臭うのに、申し訳なくて気の毒で。排泄機能も麻痺しているせいで、出ている感覚さえない。
いったいどうなってしまうのだろう。まだ人生20年以上あるというのに・・・

「ごめんね。」と言うと「何言ってるのぉ、出ないよりいいじゃない!」と笑っている。
この優しさに、慣れてはいけないと思いながら、心からありがたいと思う。

3回目のリハビリを終えて、かなりヘトヘトになったが、頭痛薬と入院直後から1日数回交換してもらっているアイスパックに助けられている。腹痛や頭痛と言った症状が何から引き起こされているのか不思議だ。

夕方、母の近所に住む弟のスマホで母と義妹の三人と、ビデオ電話で話した。
深刻さより明るさが伝わって良かった。定期的に顔を見て話してあげれば安心してくれるだろう。娘も孫たちと励ましてくれて、家族はありがたい。

この病気になって、辛いとか悲しいとか思うより先に、90歳になろうとする母の為に、先に逝った父の代わりを務めたいと思って尽くしてきたつもりだった。

もう毎月帰って、掃除に洗濯に片付けにと手伝ってあげることも、面倒をみてあげることもできなくなった。先に死んでしまうわけではないが、何の役にも立てないのが可哀想で仕方がない。それを考えると涙が出てくる。心配をかけて親不孝だなぁと思う。

私の月に一回の親孝行は、1ヶ月を1週間に集約しているようなものだった。電車・飛行機・地下鉄・新幹線・列車・バス・フェリー・タクシーとすべての交通機関を使う片道8時間の旅は決して大変なものではなく、楽しい旅路だったし、月に5万円は私が、ここ何年か親孝行代として心得ていたものだった。

また現役で仕事をしている弟夫婦の為に、おいしい夕食を作って母と4人で食べるのを何より楽しみにしていた母は、普段一人暮らしで飲まないビールも飲んで、楽しそうにしていたし、認知症対策にもなっていたと思う。母がふびんでならない。

深夜ベットの上で

7日目:昨夜は消灯前、初めて入眠剤を試してみたが、目覚めると22:20だった。
時間も眠れてないが、スッキリした。
その後は眠りたくても冴えてくるいつものパターンになってしまった。

夜中小さな明かりをつけているのは私一人。ヨガのポーズをしようと努力したり、足のマッサージや寝返りやら練習しているうちに、亀の一歩のように進んでいる気がする。お尻の感覚やお風呂の感覚が100分の1歩でも進めば嬉しい。

今使ってもらっている点滴はフィジオ140・500ml
グリセオール200mlを1日4回、そこへステロイド20~30mlを1日4回注入している脳梗塞と同じ治療方法らしいが、24時間投与が続いている。

薬は朝食前に便を調整する薬を飲み、朝食後に血液サラサラの薬と胃薬を飲む。
排泄が自覚できない状況を何とか改善したい。夜中脊髄損傷者の「排泄管理」についての記事を繰り返し読んでいるが、10年経った人も25年経った人も、いまだに失禁する事があると書いてあり、不安になるものの、それでも普通に生活はできているようだ。

あと1週間リハビリと共にこの治療を続け、4日後にMRIの予定。少しでも改善していることを願うばかりだ。ネットで検索する限り、日本でも症例が少なすぎて、人それぞれのようで、都内に転院することも含め、調べてみると日本医科大付属病院に少し症例があるようだった。

今日は約束していたお見合いの日だ。無料でのお引き合わせとはいっても、責任のある事、いつもは立ち会って直接紹介してから二人にするのに、こんなことになって申し訳ない。

二人に連絡して場所と時間を決めてあげたから、今頃会っているだろう。私もお節介というか、律儀というか、こんな身体になってまで、人の心配をしている。でも、O君とMちゃんが旨く行くと、私のこともなんだか旨く行くような気がする。笑

O君は院卒で大手企業にお勤めなのに素朴な人で、Mちゃんは大学を二つも出ている優秀な子なのに、可愛くてさっぱりした気さくな子だから、3つ年上だけどお似合いだ。
結婚は良いものだから、30代後半になった彼らには早くチャンスをげあたいと思う。

様々な患者の中で思う

ここ脳神経外科病院には様々な患者が搬送されてくる。
意外だったが、台所で倒れていたという80歳の女性は入院4日後には退院した。

一晩中「オーイ」と呼んでるおじいさんの声も聞こえる。お隣さんは6日前に入院してきて、明日首の脊椎を3本切開する手術をするという。ずっとネックバンドをしている。成功すれば一週間位で退院できるとか。

頭蓋骨を開いた人もいるそうだ。
一昨日、私の前のベットにいる食べることもできず、話しかけても反応の薄い80代のお婆ちゃんは、どこかの部屋に移って行った。

入れ替わりに来た60代の女性は一日中「ウーウー」と小さな声を出している。看護師さんから「お名前は?」「ここはどこ?」と毎日聞かれている。
私は下半身不随状態になってしまったが、ここにいると脳じゃなくて良かったと思う。

夜中、お尻に違和感を覚えた。少し温度もごくわずか感じられた。少しずつ兆候が出てくるようならこの上ない。今日は初めて朝食を完食した。しっかり食べて健康な腸に戻したい。頑張りすぎたのか30分後に胃が痛んだ。
グリセオール200mlとステロイド注入が3回から2回になった。

そういえば、1月末に予約していた大腸ポリープの手術を延期ななければと思ったが、医師の名前が分からない。かかりつけ医に紹介されたドクターの名前を聞いて、何とか連絡できた。悪性ではないので、半年~1年延びても大丈夫と言われホッとした。

10時に脊髄外科専門の副院長が回診の時に寄ってくれた。病名自体は知らない人はいないが、会ったのは初めてとのこと。次のMRIで変化の様子を見ながらの治療となるが、脊髄の回復には時間がかかるので、7~8ヶ月はかかるだろう。という言葉が出た。

じっくりやっていくしかないという事だろう。
回復さえするのなら、1,2年は短い期間だ、頑張ろう。

2回目のリハビリで足全体に器具をつけ、二本のバーの間を歩く練習を初めてした。後ろからM君が全身で支えてくれて、左側ではNさんが足の筋肉の動きを見てくれ、右からはKさんがお腹の辺りを支えてくれる。2m位の間をロボットのように右・左と出していく。

腕の力で支えようと思っても、力はあまり入らない。自分を離れた所から見ているような、テレビの一コマを見ているようで、自分がこんなことをやってるなんて、いまだに信じられない。人生の中の一コマと思おう。

3回目のH君との上半身トレーニングが終わって、ベッドに戻ると上の弟から電話が入っていた。折り返すと26日から休みだから夕方から来て、27日の先生の話を夫と一緒に聞くという。木曜から休みというのは、きっと有休を取ってくれたに違いない。
弟の心遣いに胸が熱くなった。

リハビリの女の子の話では、点滴が明日で終わるという。少し不安な気持ちになるのはなぜだろう。どんな治療で改善していくのか、私には見えないが、リハビリは大事だと思った。腕の力も全く頼りにならない。もっと自力でお尻を移動できるよう頑張ろう。

今日から夜中の点滴がなくなった。ステロイドも2回だけになるらしい。少しずつ治療方法が変わっていくのだろう。先生方に任せるしかない。

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