便失禁

夫の入院中に

彼は輸血をするらしい。血液の値が通常15のところ7.4しかなく、点滴をしていても上がってこないという。退院は週明けになるようだけど、私の大腸ポリープ除去手術の為の入院は一人で行くことになるかもしれない。

ショックだったのは昨日リハビリ中に漏らしてしまった事。PTさんが来る前に自力で普通のが出て良かったと思ったが、その後の緩いのがまだだったようで、水分の多い方で処理に手間取った。同年代の男性PTさんに途中待っててもらったが、なんだか恥ずかしいというより、自分にがっかりしてしまった。

夫が入院している間、ベランダのプランターが乾きすぎないように水を撒いてもらった。

夫が入院したことを聞いて、ケアマネージャーが来たが一人でなんとかできるので、大丈夫と伝えた。明日は友人のHさんとFさんが来てくれるという。一人暮らしも寂しくはないが、友人の訪問は嬉しい。

初めての通院

昨夜はあまり眠れず時計の針を追っているようだった。痩せてやつれた夫がドアの隙間から出てきてビックリした。夢だった。
朝も早くから起きたので、誰もいない静かな家の中で寂しくなってきたので、孫のビデオを見て、声が聴きたくて電話した。
一人暮らしの母の気持ちが分かった。

予定があるというのは嬉しいものだ。朝食前にシャワーを浴び、区役所と郵便局へ行ってきた。マクドナルドにも寄り、ビーフバーガーにコーラにポテト。
できる間、車椅子で待っている初めての経験だったが、何となく自由な気分がした。

彼は明後日には帰れるらしい。明日は退院後初めての通院だが雨のようなので介護タクシーを予約した。一人に慣れてきたが、すっと一人はやっぱり寂しい。
 

7月14日212日目:リハビリ病院に入る前にいた大学病院の神経内科に予約時間に行くと、担当はあのネガちゃんだった。以前はサブ担当だったが、ちょっと太って貫禄が付いたような気がした。夫の入院している医療センターにも月曜日に行っているらしい。
リハビリ病院のU先生が○○の検査もしてみて欲しいと直々に電話があったというから、恐縮した。結局その検査は必要ないと、却下された。

帰りは小雨だったので、電動車いすで帰ってきた。

退院してきた彼の顔を見てビックリした。浮浪者のように無精ひげのままで、服も救急車で行った時のままだった。お風呂に入りたいと言いながら、留守中の届いた書類を片付けて床屋へ行った。体調も良くはないらしい。明日から私が入院なので心配だ。

延期していた大腸ポリープ切除

3日間の短期入院で、大腸ポリープ2個切除したという。麻酔をしているので、何がどう起こったのかも分からない。ともかく昨年12月予約していたのに、脊髄梗塞を発症し長野で入院したのでキャンセルしていた。悪性ではなく無事終わったのは何よりだ。

身体障害者手帳が来たので、介護タクシー券が使えるようになった。雨の日以外はなるべく電動車椅子で動こうと思う。きっと余ると思うが、税金でやってもらってる分必要のないものは、使わないようにしたい。

行きも帰りも一人だったので、うちに帰ると夫は玄関で迎えてくれることもなく、ソファに寝てテレビを見ていたので少しガッカリした。
おかゆを作ってくれたので許すことにする。笑

リハビリパンツが切れたのでネットで見ていたが、今のとの違いが良く分からない。
近くのドラッグストアに行ったが、男性しかいなくて、結局自分で決めた。
帰りにスーパーへ寄ってカボチャとモロヘイヤ、つるむらさき、なす、オクラと彼が買ってくるお惣菜にないものを買って帰った。
これから少しずつできる料理は作るようにしたいと思う。

夫が65歳になって年金をもらうようになったので、共済年金の配偶者分がもらえるらしく、戸籍謄本が必要になるので区役所に行かなければならない。その時に健康保険の後期高齢者対象申し込みをしようと思う。通常75歳から対象となる後期高齢者保健割合が、障害者手帳を持っている人は通常3割負担から1割負担になるらしい。
毎月の病院代と薬代に関わるので大きい。

人生はままならないもの

大腸を空っぽにしたからか昨日は3回も自力で便が出た。若干柔らかいものの自力で出る前に腹痛らしいものがあったので、これが予兆として自分で管理できれば、最も望む排泄管理になるので、何とか続いてほしい。

と思っていた矢先、夜中気づかないうちに出たようで、処理をした後、下着に履き替えたら、今度は車椅子のシートまで汚してしまった。朝から2回も水で身体を洗い、汚れたものを手洗いして、すっかり疲れてしまった。ショックで友人にラインでこぼしたら、「腸の手術をした後だからだよ」と言われ、妙に納得し気持ちが楽になった。
友達の存在は大きいと感じる。

 

父が亡くなって今年が17回忌になる。仕事をしている間は3ケ月に一度、仕事を辞めてからは毎月、母が寂しくないように帰っていた。東京から天草の実家までドアツードアで6時間のルートと8時間のルートがあり、海外迄行ける位時間がかかる。それだけお金もかかるが、親孝行の費用と思ってきた。そして、この病気になって自由に動けなくなった。併せてコロナ禍で帰れなくなった。だから毎日電話をするしかすべがない。

その母がこのところ、洗濯物をお風呂場乾燥に持っていき、掛けるのが大変で助けてもらいたいと思うことが多くなったという。いつもは使わない離れに掛けたままにしておけるようネットで乾燥機を買い送ったことで、少しもめてしまった。母はもちろんモノより手伝ってくれる人が欲しいのは分かっているのだけれど、私のできることは限られている。こんな身体じゃなければ・・・と、こういう時が一番無力さを感じてしまう。

昔から「若い時は健康で時間はあるがお金がない。年を取るとお金と時間はあるが身体が動かず旅に行けない。」と言う。二人して定年になったら世界中旅行をしようと頑張って我慢して、貯金が目標額になるまで仕事をしたのに。
たった一年半で数回国内旅行しただけで歩けない病気になってしまって、大きく予定が崩れてしまった。やっぱり言われていることは本当だったなと残念に思う。

今日は夫の誕生日だが、物はいつでも買えるので、特別欲しいものもないという。
食べたいと思うものがあるだけでもいい。実家から送ってくれるウニが食べたいというので、頼んだら母が3本手配してくれた。食べたい物さえなくなったら終わりだ。

 

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