「日本一の星空と昼神温泉」という一泊二日のツアーだった。
仕事を辞めてから月に一度行っていた、熊本県天草市に暮らす母の所で「走り回っていた」と母がいう位、(年末の大掃除のつもりだったのか)なぜかいつもはしない所まで綺麗にしたのを覚えている。発症する二日前の事だ。
帰宅して一日おいて夫と出かけたバス旅行は、東京からバスで休憩を取りながら6時間の長野県。
1日目に中山道42番目の宿場町妻籠宿(つまごじゅく)で散策した時、坂を上り、階段を下り、一年前から始めた御朱印をもらいに、光徳寺を探したことを思い出す。
今、御朱印帳を手に取ってめくって見る。富士山南口・須山浅間神社,蒲田八幡神社、東京大神宮、靖国神社、奥飛騨・日枝神社、明治神宮、羽田神社、六郷神社、浅草寺、川崎大使、そして最後になった光徳寺。65歳迄と決めていた退職を一年早めたおかげで、いろんな所に出かけられた。
バスに戻る途中の下り坂、70歳くらいのご婦人が杖を突きながら、危なげに歩いているのを見て、横を通り過ぎた後「こうやって元気に歩けるって幸せだよね。」と夫にささやいたのを覚えている。あの時はホントに歩ける幸せをかみしめていた。
宿に着き、バスで食事処に向かい、夕食後『阿智村の日本一の星空』を見る丘に行った。
持ってきたウルトラライトダウンが用を成さず、ガクガクと震える程、寒い夜だった。
身体を固くして見上げた夜空は少し雲がかかっていたが、ガイドの説明に耳を傾け、懸命に探した星座のことを寒さと共に思い出す。
MRIに今入っている人がいるからと、少し待つことに。
ストレッチャーに寝かされ、ついてくれていた看護師さんと世間話のように話すうち、出身地の話が出たのだろう、「看護部長さんは阿久根(鹿児島県)の人なんですよ」と聞いた。その時痛みは消えていたか、薄れていたような気がする。
MRIを腰だけ撮ってみるが問題は見つからず、お腹、胸、頭とどんどん伸びていった。CTもレントゲンも撮ったが原因は不明。とても珍しいと先生も首をかしげる。とりあえず、翌日もっと詳しいMRIを撮るということになった。
看護師さんに「最後に何時ごろおしっこしましたか?」と聞かれる。何時だったか気にも留めていなかったが、ずいぶん出てないと分かり、バルーンカテーテルを入れてもらうことになる。この時、排泄が自分の意思でできない事を知り、知識のない私は「えっ・人工肛門になるってこと?」と訳の分からないことを考えていた。
病室に運ばれると、夫は入院の手続きの為に一度家に帰るという。病院からタクシーで駅に行き、バスで4時間で新宿に着くという。新宿から山手線、京急と乗り継ぎ、家に着くには待ち時間も合せると6時間近くかかる。大変だ。「ごめんね」と送り出す。
この流れに自分自身もビックリし、まず航空券をキャンセルせねばと考え次々にキャンセルの電話を入れる。先の見通しが立たないので、1月分も2月分も3月分も予約してある航空券をキャンセルした。キャンセル代がかかちゃうなと、ケチな事を考えていた。
書道の先生は、私の声を聞いて「普通みたいなのにね」と気の毒がっていた。歯科と美容室には電話でキャンセルを入れ、弟にはラインで、英会話の先生とクラスメイト達にはグループラインを。先月一年分の先払いしたスポーツジムにも当分通えないと連絡。
ボランティアで始めた婚活企画。年末にお見合いを予定していた二人には、それぞれのアドレスを教えて、立ち合えないが信頼できるからと会わせてあげることに。
新年に会う約束をしていた元会員の女の子。年末年始は予定がいっぱい詰まっていた。
みんな、ビックリしながらも「大丈夫だから!」と励ましてくれた。
口も利けて、両手も動くが、下半身はピクリともしない。
指先だけは動いていた左足も動かなくなった。
食事も食べられず、夜は腹痛がひどく我慢していたが限界が来て、薬をもらった。
眠れぬまま、長い夜が過ぎていった。
そして、2019年12月16日は私の忘れられない『あの日』となった。