下半身不随になった今

新たな環境と変わらない闘い

1月11日27日目:ベットが変わったせいか、ここでは良く眠れるようになった。こういう状況に慣れてきたのかもしれないが、エアーベットが床ずれしないように一日中コントロールしてくれている。素晴らしい。

朝6:00、8本の採血に来た看護師さんと話していたら、朝焼けがカーテンの隙間から見えたので全部開けてもらった。長野より40分~50分早い。

そういえば看護師さんたちの平均年齢が20歳位違うことに気づいた。ここは特に若いのだろうか、20代~30代前半までのような気がする。

初めてリハビリ室へ連れて行ってもらった。ここでは10分前にリハビリ室に到着し、廊下に患者の乗った車椅子が10台近く並ぶ。歩いてくる人はほとんどいない。時間になると担当が現れ、車椅子を押してくれて中に入る。そして終わるころに、またお迎えが来るというなんとも贅沢な。同じ病棟からばかりではないし、搬送係の人も検査との調整もしなければならず大変そうだ。

不思議なことに右手の甲に続いて左手の甲の皮もむけ始めた。乾燥しているからだろうか?全く洗い物などの家事をしないせいなのだろうか?

午前中に腰のMRIを撮った。15分位だったので短く感じた。その10分位前から下腹がキリキリと痛み、便の出る前兆ではないかと思った。前の病院で一度便失禁をした時と同じ痛みのようだ。つまりこの痛みの後、40~50分後に出るという事かもしれない。
それが分かれば対応の仕方も変わってくるので今後も様子を見よう。

1時頃夫と娘が来てくれて話していたら、ドンドン臭いがきつくなってきた。ビデオ電話で孫達とも話せて嬉しかったが、気が付いたら酷い事になっていて、汚れたスウェットパンツは持って帰ってもらったのの、処理に30分位かかってしまった。
布団も新しくしてもらって、何事もなかったようにきれいになった。トホホ

夕方5時、友人が品川に来たからとお菓子とお見舞いを持ってきてくれた。1時間ほど楽しくおしゃべりをして帰って行ったが、ビールがあったら3時間は話せたねと、ラインが来た。以前と変わらない。

下半身不随は衝撃

昨日は熊本の叔母と従妹からお見舞いが届き、今日は大阪の叔母たちから届いた。
母はどこまで広げるつもりだろうと思った。自分の衝撃と悲しさを誰かに分かってもらいたいのだろう。

私の方は友人にもなるべく伝えないようにしているが、故郷の弟からも東京にいる甥っ子が自分たちと弟嫁の実家からの見舞いを持って近々行くからとラインが来た。

母から着信があったので、かけてみたら、本家の叔母と従妹が見舞いを持ってきてくれて、泣いていたという。自分のいない所で、自分の話をして、みんなが涙しているというのは、何か申し訳ない気がする。

娘が言うように顔を見て話しをすると、私がいつもと変わらないので安心するが、状況が分からないみんなが心配するのは分からなくもない。突然下半身不随になってしまったと聞いたら、誰だって悲惨だと感じるに決まっている。

一生このままなら同情に値するかもしれないが、自分自身は変われる気がするので、沈んでいても仕方ないと思っている。
礼状を書きながら、「夏までに家に帰る」を言霊にすべくひとり呟く。

気の置けない友人がラインをくれたので、来月にはリハビリ病院に行くと伝えた。

脳神経内科の病室

今日は成人式、去年はNYの従妹が訪ねてきていて、総合体育館へ見に行ったことを思い出す。着物やはかま姿の大勢の若者が体育館前にひしめいていた。歩道橋の上から写真を撮っていたら、警備員に「立ち止まらないで下さい」って注意されたなぁ。

この病院では薬は自分で管理するらしく、今日から朝の食前食後の薬は自分で時間を見て飲むようになった。

車椅子で家族と一緒に部屋の外に出るという提案をしてもらったので、早速お願いした。
実家やアメリカの従妹や孫達ともビデオ電話で楽しくお話ができたので、みんなの安心が伝わってきた。デイルームの雰囲気も分かった。

顔中青あざだらけだったお隣のベットの85歳のおばあちゃんは、一晩中ナースコールも使わないで、「すみません、すみません・・・」と呼び続けるので消灯後2回程私がナースコールを押してあげて、看護師さん達が他の部屋に連れていった位、けっこう支離滅裂なありさまだった。

服を全部脱いでしまうので「ダメよー」と叱られたり、「いくらですか?」とか「いつ帰れますか?」とか誕生日さえ分からなかったり、ボケちゃったのかと思ったが、家族が三人来て30分程デイルームで話して帰ったら、すっかりおとなしくなって聞き訳が良くなった。

義母が入院した時も、毎日声かけの為に病院に顔を出していたら、ボケが抜けたこともあったので、家族の力は大きいなと感じた。脳神経内科はどうしても普通のケガや病気と違うので、奇声を発したり、唸っている人が多くなる。皆意外と早く退院していくが、大変な病気だと思う。下半身不随も辛いが、脳の病気も辛いし家族も可哀想だ。

夜勤の交代でお隣のおばあちゃんの所に来た看護師さんが、おばあちゃに「お年は?」と聞くと「36歳!」と言ったので、思わずふきだしてしまった。生年月日は、昭和9年3月2日と昨日と同じだった。以前は昭和8年とも言っていたが、85歳は本当のようなので、昭和9年が合っている。明日は顔面の折れている骨の手術らしい。

元々認知症なのか、大きなけがをして、一時的にボケてしまったのか、母に近い年なので、これからが心配だ。

娘の存在に感謝

1月14日30日目:今日は夫が入院をする日、2週間の治療で、これからの生活習慣なども指導してもらえたら、もっと健康的になるのではと期待している。ともかく入院中は病院が管理してくれるのだから安心だ。娘が来てくれていて手伝って貰えて良かった。

夫のメールによると、向こうの病院は部屋にトイレもあって、シャワーも近くていつでも使えるらしい。昼と夕食のメニューがメールで知らせてきたが、健康に良いし、お酒も断てて、良い環境だと思う。

娘の話では、彼のお酒のことで厳しく注意したらしい。私が心配していた時も変わらずお酒を飲んでいたらしい、この際徹底的に改めてもらえればいいのだけれど。自分で変えようと思わなければ、人はそうそう変わるものではないから厄介だ。

私が車椅子になったことで、一緒にゴルフもできないし、旅行も制限付きになる、その上彼が透析でもしなければならなくなったら、それこそもっと楽しみはそがれていくのだから、健康には気を付けてほしい。

今日の私のスケジュールは胸のMRIと心エコー、リハビリが午前と午後2回となっている。午後にシャワーとシーツ交換もあるので、結構忙しい。

娘が私のパソコンを持ってきてくれて、HPを全ページダウロードしてくれていたので、とても助かった。バーチャルオフィスは解約してもお金は戻らないが、HPの契約は解約の手続きを代行してもらった。残念ではあるがこれも潮時なのだろう。物事はなるようになっていくもの。またきっと自分に与えられた使命が見えてくるはずだ。

リハビリも1回40分しっかりやっているので、意外とエネルギーを消耗しているようで、熟睡できる時間が長くなってきた。今日のリハビリは午前と午後違う器具とマシーンを使って歩いた。宙づりにするためにいろんな器具やバンドを身体に装着する。

従妹の子供がボストンの大学院で研究しているのも、歩行するためのロボットらしいので、頑張って私の助けになることを願っている。毎年夏休みに兄弟交代でステイしていたので、甥っ子のようなもの。電動車椅子も日本にないものを教えてくれた。

娘は明日帰るので、17日の手術(カテーテル検査)には立ち会えないが、麻酔科の先生の説明を受けてくれた。結果が気になるだろうが私もラッキーな結果を期待している。

ソーシャルワーカーの女性が来て、治療がもし期限の2ヶ月を超えて必要になると、最大5ヶ月入れるリハビリ病院はキャンセルしなければならなくなるという。どちらにしても幸運を祈るしかない。カテーテル検査で手術ができるようなら、この状況が完全する訳で、それに越したことはないのだから。

弟は自宅とは反対になるのに、大井町の会社から帰りにちょくちょく寄ってくれる。17日の手術当日は、付き添いが必要になるので、仕事を休んでくれるという。娘も安心している。弟の話ではネットで調べたらしくカテーテル検査のH先生は脊髄のエキスパートだそうだ。

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