覚悟までの時間

尿意がないということ

カテーテル検査で手術の可能性が消えたことで、少し気持ちが落ちている自分がいる。排泄機能も回復しないことを、覚悟しなければならなくなったからかもしれない。
それでも前を向いて、
家に帰れるようリハビリに専念しなければ・・・
みんな期待してくれているから、きっとできると信じよう。

11:00シャワーで洗ってもらった。ここの病棟のシャワールームはとても狭くて、ストレッチャーがギリギリ入るスペースしかない。上半身は動くので横になったままの姿勢で、洗えるところは自分で洗うようにした。

部屋に戻ると、泌尿器科の先生が来てくれたようで、明日から一週間飲み薬を飲んで、その後診察をしてもらうことになった。今朝9:00にカテーテルを抜いたばかりだが、尿意を感じないまま、少し冷たい気がしたので見てもらったが、出ていなかった。

リハビリ後も尿は出ていない。17:00に新しいカテーテルを入れてもらった。
あまり水分を取っていなかったので、300mlしか溜っていなかった。薬を飲むことで改善できればいいが、尿意がないということは、カテーテルが抜けないという事。どうなってしまうのだろう。焦っても仕方がないが今後の見通しを誰かに教えてもらいたい。

ソーシャルワーカーが来て、Kリハビリテーション病院は受け入れOKとのこと。
弟から連携室のYさんという人に電話してもらった。夕食が終わる頃、弟が来てくれて、一週間後に書類の件で、リハビリテーション病院に行かなければならないという。

保険証が必要で、こちらに寄ってから見学がてら行ってくるという。午後から半休を取ると言っていた。弟がいてくれて、ほんとに助かる。ありがたいと思う。

夜、E先生が来て、足のエコーでエコノミー症候群に見られる血栓が見つかったので、血液サラサラの薬を追加するという。しばらく2種類を飲むことになる。昨日朝飲むのを忘れたことは看護師さんに伝えたが、肺に飛ぶと大変な事になるので、忘れないようにと注意された。亡くなる人もいるというので、気を付けなければ。

いろんな症状を抱えた人達

窓から見える電車を眺めていると、なぜだか飽きない。行き交う電車は10分に8~9本で長い車両も多い。乗っている人々の一人一人に長い人生のあることを思い、凄いことだなぁとつくづく思う。

向かいのベットの水を欲しがる女性は57歳だという。初期治療の病院にいられるのは2ヶ月なので、この後どうするかの話をしている。ご主人もお嬢さんも働いていて、自宅に帰るのは難しいという。彼女の病状では精神的にも家族で看るのは無理だと思う。
ホスピスもかなりの人が待っているらしく、聞いていると可哀想になった。

うなったり、いつも何かをうったえている人が、今日は韓国ドラマを見たいと言い、看護師さん達が3人がかりでテレビの配線接続に四苦八苦している。毎晩ベットを移動しているので分からなくなったのだろう。彼女の人生が少し見えて切なかった。

この巨大な病院は948床あり、2240人が働いている。リハビリや検査の為の搬送係もいる。長野の病院が66床だったので、転院先の情報を聞いた看護師さんたちが、すごいね!と驚いていたのを覚えている。次に行くリハビリテーション病院は180床だとか。私にとっては3つ目の病院になる。幼稚園の時、盲腸で入院して以来60年、この入院はどれだけ長い入院生活になるのだろう。

血液サラサラの薬と泌尿器科の薬が増えただけで、リハビリの予定のみとなっている。検査はすべて完了したということだろう。

午前のリハビリの前に敵便をしてもらったが、夕方下剤を飲むことにする。

リハビリ中に40代位の男性が車椅子に座ったまま、失禁したのを3m離れた正面で見てしまった。手にも包帯がぐるぐる巻きで、身体も少し傾いている。大事故だったのかもしれない。気の毒で可哀想で、便失禁を気にしている私には他人事ではなかった。

手の施しようが無いと分かった時

1月23日39日目:リハビリの時に出てはしまわないかハラハラしている。調整の為、昨日は16:30に下剤を飲んだ。計画的に出すことができれば何も心配することはなくなるのだけれど・・・

夜中3:30に腹痛があり4:00覗いてみるが、かすかに臭うだけだったので、5:30看護師さんに処理してもらった。6時になると患者の起床の時間なので、こちらも気を遣う。
前回下剤を飲んだ時とずいぶん時間が違うので、きちんとしたデータを取る必要があると思った。

9:40にお風呂の番だという。リハビリの前に時間は足りるのだろうかと思いながら、着替えを済ませシャワー室を出るなり、担当さんが待っていた。直接車椅子に乗せ替え、ドライヤーをして搬送さんに引き渡す。すごい早業と二人で笑う。

3月に結婚で辞める25歳のNさんは、一番気安くしっかりしていると認めている子で、予定通り5分前にはリハビリ室に到着していたので感心した。

作業療法士のSさんに看護師サイドで行えるリハビリサポートを聞いてくれていて、車椅子を自分でこぐ事や、車椅子でのプッシュアップを提案してくれた。車椅子に座っていると、両膝が開くのでタオルで巻いて、開かないようにもしてもらった。

夕食前にH先生が画像で説明してくださるというので、一人で説明を受けた。
動画を撮っても良いですかと尋ね、許可をもらって撮った。

明らかに血液が通っていない場所がある。脳梗塞であれば今は回復させることができるようになったが、脊髄は一度滞ると、その後血液が通っても機能が回復することはなく、また周りに色々なものがあり通すこともできないらしい。

つまり手の施しようが無いということ。治療方法は無いということ。
説明が終わると、先生がわざわざ車椅子を押して部屋まで連れて行って下さった。
沈黙の中で「大変だけど頑張ってくださいね」と言ってくれてるような気がした。
一人になると、ついポロポロと涙がこぼれた。

すぐに夕食が運ばれて来た。食べながらも泣けてくる。泣いても何も変わらないが、辛くないと言ったらウソになる。お酒でも飲みたいなと思う。

カーテンの横から弟が顔を出した。涙を隠し笑顔で迎える。この前頼んだタフグミを買って来てくれた。少し明るくなれた。助かった。

生きているということ

H先生から説明を受けたと夫にメールをした。短い返信だった。
何も言えないよね、と納得していたが、時間を置いて温かいメールが届いた。

「自分一人で生きているわけではないので、前を向いて明るく諦めずに頑張ろう。自分が想像している以上に周りの人たちは、心配も応援もしてくれている。命がなくなるわけではないから、気長に焦らず過ごしていきましょう。おやすみ」

このメールが届いてすぐに消灯だったので、少し眠れたが。
その夜、同室の一人は「助けて!」と何回も騒ぐので代わりにナースコールを押してあげ、一人は誰かと話しているかのように独り言を一晩中つぶやいていた。あとの一人は何度もナースコールを押し、トイレに行きたがる。それぞれ三人三様の症状を抱え、私に落ち込む暇を与えてはくれなかった。つまりそれが生きているということなのだろう。

自分らしく生きていこう。先は長いけど今のままが続くわけではないのだから。

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