3つ目の病院

スポーツジムのような病院

朝10時介護タクシーの運転手さんが部屋まで車椅子を持って迎えに来てくれた。
関わってくれた看護師さんは長野より少ないが、エレベーターホール迄見送りに来てくれて元気な笑顔で送り出してくれた。

転院するリハビリテーション病院は、今までのリハビリルームから見えていたチョコレート会社と同じ通りで、道を一本隔てた車椅子での移動さえできる距離だった。

エントランスには素敵なお花と熱帯魚ケースがあり、玄関ホールの右手には見舞客との面談ができるスペース、左手に広いリハビリスペースがある。
車椅子からは見えない高さの棚があり、全体は見えないがマシーンも、
聞こえてくる活気にあふれた声も、スポーツジムのようだというのが第一印象だった。

夫が入院しているので、弟が紙袋をいくつも下げて付き添ってくれてた。頼りになる。
受付で待っていてくれた元気な背の高い看護師さんが、なんとなくこの病院の象徴のような気がした。案内されたお部屋は応接セットとトイレと洗面所、大きなテレビと冷蔵庫の付いた広い個室でビックリした。

ラッキーな事にしばらくは食堂に面したこの個室で静かに眠れる。
テレビもずいぶん見ていないので今夜は見ようと思った。

昨日の下痢もおさまったようでホッとした。スタッフの年齢層が前の病院より高いからか、オムツ交換も気分的に楽な気がする。恥ずかしさは最初の頃より薄れてきたかも。

担当の神経内科のU先生が私の出身の九州地方に多いという遺伝子が関係している
【HTLV1】という病気についても、調べてみようというお話が興味深かった。

初めてづくし

3つ目の病院のベットは固めだった。左、右、仰向けと寝返りがしやすくなって、寝返りの時以外は熟睡できた。この病院には血流を促すポンプがないので弾性ストッキングをはいている。圧迫感はあるものの、動きは楽になった。

新しい場所での生活は色々な気付きを与えてくれる。
ここは元気で明るいイメージがあり、部屋の外でワイワイとにぎやかな話声がして合宿所のようなトレーニングジムのような感じがする。

スタッフの年齢で対応や反応が違うことには、やはり驚いてしまう。いろいろ細やかで、今朝はコーヒーを部屋に持ってきてもらった。2杯も。考えられない。
初めてだからではなく、飲み物をなるべく飲むように指導しているようだ。
その為このフロアーにあるコーヒーは薄めに作られている。
他にも患者目線だと思うことが多くてありがたい。

初めてのお風呂はストレッチャーで、2人がかりで洗ってくれて、3人がかりで拭いて着せてくれた。週3回というのも嬉しい。

リハビリテーション病院というのに初めて入ったので感心することが多い。リハビリのスタイルも違っていて計画性がしっかりしている。目標を持って努力するので成果が目に見えてくるはず。最高6ヶ月というが夏前には退院したい。楽しく頑張ろう。

リハビリルームにはいくつものマシーンがあるが、私はまず施術台が角度を変えながら直角迄上がるマシーンでかかとや膝に感覚をよみがえらせるためのリハビリをした。
歩く訓練も大切だと思うが、かかとがまだ地についていないような感じなので、これは大事だと思った。聞けば180床に対して理学療法士(PT)・作業療法士(OT)・言語療法士(ST)と合わせると170名になるようだ。およそマンツーマンということか。

今日は日曜なので、一日早い「節分」のイベントを食堂でやっていた。
2人の鬼役のスタッフを囲んで円になった患者さんたちが、新聞紙を丸めたボールを鬼めがけて投げていた。私は開始時間の2時からリハビリだったので、横を通りながら、いつか私も、あんなたわいもない遊びに楽しく参加するのだろうと思った。笑

全てがリハビリ

2月3日50日目:6時過ぎに採決に来た看護師さん、一人目が静脈を見つけられず、助っ人を連れてきたけれど、彼女も無理で痛いだけだったので諦めてしまった。7時過ぎに来た三人目の看護師さんも15分かけて、やっぱり駄目だった。申し訳ないと思った。
11時前、四人目の看護師さんが一発成功、助かった。

先生の回診で左足の血栓は発症後はできやすいと知った。発症直後からずっとつけていたポンプの代わりに履いている弾性ハイソックスも夜は外していいと言われ、血栓の為の薬も、もうしばらくしたら止める方向とのこと。どんどん明るくなっていく。

同じテーブルで食事をしていた人が退院し、すぐにその席に新しい人が転院してきた。
どこへ行っても人との関係は円満にしていきたい。私は65歳にして、同じテーブルの中では最年少になるので、皆さんを立てる立場になった。笑

この病院では衣類も同じものを身に着けるようになっているので、パジャマ上下・トレーニングウェア上下・タオル二枚がセットで毎日交換される。必要であれば何枚でも交換できるし、必要なければいらないと申告すればいいだけになっている。

食堂で同席の先輩女性は脳梗塞だったらしく、記憶に時々問題があるものの、仕切り屋さんみたいで、お化粧している人が居ると、顔色を見ながら判断してくれているのだから止めるように言い、トレーニングウェアで寝ているというと、パジャマを脱ぎ着するのもリハビリのうちと注意される。

前の病院でTシャツとスウェットパンツで過ごしていたせいで、パジャマを着ていなかったが、リハビリの一環と言われると、なるほどと思い脱ぎ着するようになった。
私にとっては難しくない事なので、見守りはすぐにチェック対象から外れるだろう。

薬も申告ナシで飲めるようになったし、管理も自分でするようになった。

昨日17時に下剤を飲んだのでリハビリ前に出したかったが、朝一番にリハビリが入っていて、途中で出てしまった。こういう状態でも明るく対応してもらえるのは、つくづくありがたい。

一人での車椅子移乗の許可が下りたので、食堂にあるコーヒーメーカーの所まで行けたと思ったらコーヒーを注いだ後、片手で車椅子をこげないと分かり、結局部屋まで運んでもらった。

消えた筋肉

昨夜はあまり眠れず夜中にオムツがずれてスタッフに直してもらおうとコールしだら、男子スタッフが来てくれた。一瞬ためらったが仕方がないので申し訳なく思いながら直してもらった。彼らにとっては仕事でいつもやってるだろうが65歳はまだ恥ずかしい。

朝パジャマを脱いだ時、マッサージしようと太ももを見ると、筋肉が取れ皮膚が下に垂れているので、上から見ると自分の足ではないようにとても瘦せて見える。体重は54㎏と増えている。早く筋肉に変えたいが、運動はその多くが下半身を動かしてするもの。下半身に運動能力がない場合、筋肉をつけるのは難しいかもしれない。

リハビリの前には必ず血圧を測るが、上が148もあったので測りながら、プラットホーム(施術台のことをここではそう呼ぶ)でマッサージから始めてくれた。158迄上がったので、ずっと寝姿勢と座位でのリハビリをしてくれて、128迄下がった。

その後のリハビリで立つマシーンを使っている時、PTのN君に今まで脊髄梗塞の人を担当したことがあるか聞いてみた。一人だけあるが、その人は脳梗塞も同時に発症していたらしく半年入院の最終時点で車椅子で全館自走だったとのこと。

私は今の時点で自走できるので、目標は立って何かを使って歩くことと伝えると、私が歩けるようになったら学会で発表できる位だと言うが、可能性が低いとは思えず、なんだかできる気がしていた

夫が明日退院できるようになった、早速自宅に届いても良くなったので、本と弾性ハイソックスをネットで注文した。

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