脊髄梗塞発症から1年

料理を始める

午前中病院に行った夫がなかなか帰ってこないので心配していると、昼過ぎに帰ってきてベッドに入ってしまった。夫の留守中、9月から仕事に復帰してほしいと連絡してきていた会社から電話があったが、シャワーの後で間に合わず留守電になってしまった。一週間後にまた病院で検査するらしく、電話をかけて復帰は難しいと言っていた。

郵便局に孫に頼まれたアンパンマンパッチを送ろうと思って持って行ったが、手紙以外はダメだという。仕方がないので、中身だけを封筒に入れて出すことにした。
世界中で大混乱をきたしているコロナ禍で、小さな事だけど大変だなぁと思う。

母の誕生日に期日指定していた「おりこうのんちゃん」という人形が届いたと電話があった。とても喜んでくれて良かった。ほんとは認知症防止にはペットかもっと対話のできるロボットがいいが、世話ができなければ負担になるし今のロボットは高額すぎる。
私達が90歳の頃にはもっとロボットが安価になり、すごい機能がついているだろう。笑

夫には悪いが、やはりスーパーのものは飽きてしまうし、美味しくない。朝食にサンドイッチを、夕食に麻婆豆腐とつるむらさきの胡麻和えを作った。明日も作ろうと思う。

薬の飲み忘れを防ぐために表を作ったのに、早速昼の整腸剤を忘れてしまった。
忘れると、夜中に下すので気を付けないと、自分が苦労する。

コロナ禍の混乱

朝からおじやを作ってくれたが、夫は私の半分も食べずソファに横になった。私より彼の方が病人のようだ。こんな時代があったねと、いつか笑える日が来ると信じよう。

早いもので退院して3ヶ月が経った。OTのFさんからラインが来た。私が発症したのと並行してコロナが世界中でパンデミックを起こした。誰もが外出自粛や不便を強いられ不安な毎日を過ごさなければならなくなったのは、タイミングとしてとても不思議な気がする。来年には私も家族もみんなが晴れやかな顔をしていると嬉しいが・・・

8月27日258日目:訪問リハビリの日なので、午前中にシャワーを浴びた。下半身が動かないというのは、有酸素運動も筋肉をつける運動も何もできない。その結果上半身に脂肪がつき、どうしても肥ってしまう。夫が54.5㎏しかないというから、彼より多いということになる。ダイエットできないので腹筋をするように言われるがそれも難しい。

何もない毎日が過ぎていく。朝から頭の体操にナンプレをする。コーヒーを2杯も飲んだせいで、1時間毎にトイレに行くが、ビリビリッと兆しがあって急いでも間に合わずパッドを変える羽目になる。夕方自主トレと言ってもストレッチと腹筋と足を上げたり曲げたりをするだけだ。それでも亀の一歩より遅いが機能改善につながっている。

一喜一憂

9月になり母は卆寿を迎えた。毎日電話をしてなるべく楽しい気分になるような話をする。昔話が一番楽しそうによくしゃべる。身体のあちこちが痛いと言い、若い頃の便秘のトラウマで排便の話が良く出る。私が何歳迄生きるかは神のみぞ知るだけど、娘を海外に出したのだから、一人になったら施設に入るのだろうと考える。

大きな台風が続けてきた。実家には問題はなく、弟夫婦が母の所に泊まってくれて心強い。今までに経験したことのない災害が世界中で起きている。温暖化の影響か?

私の排泄は理想的な便が出て喜んだのもつかの間、2日続けて夜中に出てしまって、トイレで長い時間処理する事になったり、シーツやタオルを洗う羽目になって1時間半もかかると、ほんとにガッカリする。排泄管理で一喜一憂しながら少しずつでも改善してきているのはデータを見れば一目瞭然だ。コツコツ頑張るしかない。

17日ぶりに外に出た。今まで甘えてと言うより、私が捨てに行こうと思っているトイレゴミを夫は置いておくのが嫌なのだろう。すぐに捨てに行ってしまう。だから彼に宣言をしてゴミ捨てに行った。外の風に吹かれ、季節を感じる。マンションの小さな庭を一周回るだけでも、気分は爽快になる。

なのになかなか出たいと思わないのは、電動車椅子に乗り換えて靴を履き、車椅子を回転させてドアの方を向き、フットレフトを取り付ける。鍵を持ってマスクをして、スイッチをオンにしてやったおゆっくりドアへ向かう。一連の動きが面倒に思うからだ。気持ちを前向きに、外にもなるべく出かけよう。

一昨日は歯科、昨日は大学病院と美容院、今日は眼科と三日続けて出かけたが、月の内出かけるのは病院位しかない。早くコロナが落ち着いて友人と会えるようになって欲しいと思う。久しぶりにトイレゴミを捨てに行ったら霧雨が降っていたが、庭と神社の一角を回ってきた。目の前にできたホテルはまだオープンしていない。コロナとオリンピックの延長で、開けられなくなってしまったようだ。

生きている実感

11月25日345日目:秋も深くなり朝夕は寒くなってきたとテレビではキャスターが言うのに、私には季節がいまいちピンとこない。時々ゴミを捨てに行ってマンションの小さな庭の小路を抜ける。電動車椅子を中央に止めて草木を眺める。木々の間から空を眺め、風を頬に感じるのが私は好きだ。生きている実感が湧き上がってくる。

このところの変化と言えば、夜中の便失禁が23日位に一度になってきた。退院したての頃は毎日続くこともあったり、一日に4回失敗したこともあった。
健康な身体の時は想像できなかった事で、脳と神経がつながっていない証拠と分かっていながら淡々と処理をする。考えても仕方がない。何とかリハビリを続け神経を1ミリずつつないでいって改善するしかないのだから。

そうやって5日間隔7日間隔15日間隔といい方向に向かっているとぬか喜びしていると、また引き戻されることの繰り返しだった。それでも行きつ戻りつの間隔が少しずつ伸びた。最初の入院で担当医が「今は一番底、これ以上悪くなることはないから!」と励ましてくれたのを思い出す。嬉しい事に尿失禁は5月初め以降ほとんどなくなった。

退院したての頃は自主トレをするのにヨガマットを使っていたが、ネットで見つけたスポーツマットがとても役に立っている。訪問リハビリのない時は毎日1時間くらいストレッチと腹筋などの自主トレをしているので、左足の力は少しついてきた気がする。

腹筋を鍛えていくと排泄についても改善できているように思う。
木曜日は今まで通り同年代のOさんが訪問リハビリで来てくれるが、今月から月曜日は26歳のN君になった。彼は北海道出身で大阪のリハビリテーション病院でPTをしていたそうだ。二人がちょっと刺激になって、色々考えてくれるといい方向に行くだろう。

人の役に立つ人間

12月16日、一泊二日の長野へのバス旅行で突然脊髄梗塞を発症して丸一年がたった。
この記憶は一生消えることはないだろう。身体障害者は世界の人口の15%だというが、自分が健康な体で生活している人で、障害者がどんなものか分かっている人は少ない。

理解してほしいと思う反面、それぞれの立場で気づくこと感じることは違う。
私は耐えることのできる人間としてこの身体をもらったと考えることにしよう。
沢山の気付きを得られたことを喜びとしよう。

アメリカで生まれた孫の誕生日は同じ12月16日、孫の成長は私にとって大きな生き甲斐に繋がっている。と同時に私の身体も成長できると信じている。今はまだ旅行もままならないが、そのうちもっと身体が軽くなって、孫たちとの旅行が楽しめるようになるだろう。

その孫が2ヶ月前のビデオ電話で将来の夢について教えてくれた。私が最近絵を描いてる?と聞くと、あまり描いてないという。ママのようにデザイナーになると言っていたが、「あれっ?言ってなかった?私、ドクターになりたいの。」という。
どうして?と聞くと、「人を助けることができるから」という返事。
人の役に立つ人間になりたいと思ってくれた事は、何よりも誇りに思えた瞬間だった。

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