珍しい症例・脊髄梗塞

旅先での入院生活

5日目:昨夜は初めて1、2時間ずつでも細切れに数時間眠れた。

夜中2時過ぎ夫からのメール「OK]と一言だけ。持ってきてもらうものの了承だろう。苦笑いしながら、ワンセグの小型テレビと勉強ノート、書道の道具、引っ越しでもするの?と言われそうなくらい追加で書いている最中、着信があったようだった。

送信した後、見てみると「毎日心配で良く眠れません。」と。・・・かわいそうに

スマホで高額医療費支給について調べた。最初に長引くと分かると限度額の申請ができるという。彼に申請してもらおうと、調べてくれるように伝えた。

ボランティアでやってる婚活企画のホームページの更新ができない。いつになるか分からないが、閉鎖してしまうのはもったいない。折角沢山記事を書いた。でも、放っておいても、毎月ドメイン使用料はかかることになる。今は仕方ない。

ブログを書いてみよう。今まで書いていた婚活ブログとは少し違うけれど、伝えられることはあるような気がする。

同部屋の人が今日退院した。脳梗塞で一ヶ月の入院だったらしい。ラベンダーのポプリマスコットをもらった。「早く元気になりますように!」と書いてある。
振るとかすかにラベンダーが香る。

小さな果樹園をやっていて「ナガノパープル」というブドウを作っているのだそうだ。
私より5つ位上だと思うが、良い話し相手だった。
いつか再び長野を訪れる事があれば、その「ナガノパープル」というブドウを食べてみようと思った。

回診で、病院ができて30年以上になるけど、この病院では私のような症状の患者は3例目で、一人は3~4ヶ月で歩いて帰ったらしい。前の二人が同じ病気かどうかもはっきりしなかったらしい。

脳梗塞のように患者が多いと、どれが効果があったとすぐに上がってくるけど、1%以下の上、それぞれに違いがあると、何が効果的か分かりにくい。東京のリハビリ病院にいつ頃移るかなどの話も出たが、なぜだか特に望まないと思った。

昼神温泉の旅館の保険師さんにお礼の電話を入れた。保健師さんのいる宿は少ないように思うが、適確に症状を救急隊に伝えてもらえて、私はラッキーだった。

電話を切ると、夫からメールが届いた。

仕事に行く途中、自転車でめまいがして倒れたという。救急車が来たが、大丈夫なようなので職場には来たという。私が早めに退職したのに合わせるように、彼も自転車で通える簡単な仕事を見つけアルバイトに変えたようだった。

何とか食べていけるのだから無理はしてほしくない。彼も来年は65歳。二人して何が起こるか分からない。倒れたと聞いても私は帰れないのだから、辛い。「大丈夫、元気だから」と言っているが、弟からも電話してもらうことにした。弟からの連絡では元気に職場にいたというが・・・

寝たままでのお風呂初体験。上半身は大丈夫なので自分で洗えると思っていたが、点滴の手の方に袋を付けたため、何から何までやってもらうことになってしまった。全身を人に洗ってもらうのは、恥ずかしい事だけど仕方ない。
高級エステだと思うことにして、ゆったりと楽しむことにする。

エステといえば・・・私はエステにあまり興味がなかったので、今まで2回しか利用したことがなかったが、良い思い出になっている。
一回目はラスベガスのアンコールというホテル。娘家族を誘って出かけた旅行だった。孫たちと婿と夫はプールへ行かせて、娘を誘ってホテル内のエステを利用した。初めてのエステでまさに宮殿のような作りに驚きながらの体験だった。これが8年前。

二回目は一年前。ミセスユニバース日本代表に選ばれた友人が、セブ島で世界大会があるから行きませんか?と誘ってくれて、ファッションショーや世界大会の裏側を見るチャンスはそうそうないだろうと興味本位で、マネージャーとして9日間同行した。

世界各国から100名近くのミセスが集まっていた。その間に一日だけ一人で過ごす日があった。ミセスユニバースの面々は、それぞれがリポートした「自国におけるドメスティックバイオレンス」についてのプレゼンテーションを一日かけてやるという。

さあ、一人で何をする?と考え、持ってきたガイドブックで旅行会社を探し、ドライバーとガイドに迎えに来てもらい一日観光をした。帰ってきてから一人でホテルの前にあるモールへ行って、エステの店に入り、フィリピンらしい雰囲気の中で体験したのが2回目だった。

話はそれてしまったが、ストレッチャーのまま大きなバスタブの中に入るのが物珍しく、二人の看護助手さんに「こんな風にお風呂に入れてもらえるなんて幸せね」と温泉にでもつかっているように会話をしながら楽しんでいた。

ただ、上半身は41~2度なのに、腰から下はぬるま湯?温水プールにつかっているような、温度の感覚がないのに気づいた。これもこの病気の特徴なのか?

お風呂の後のリハビリは今日の2回目、新しい3人目の人で上半身を鍛えた。といってもジムのようにハードではなく、少し物足りない気もした。上半身は元気だからだろう。明日から一日3回になるという。日々が刻々と過ぎていく。努力していれば何とかなると信じよう。

部屋に帰るとウイッキーさんの伝言が入っていた。私の英会話の先生だ。「今日は来れますか?一人みたいだからクローズしますね」・・・入院した日に、グループラインに書いておいたのに、状況が分かってないのだろうか?

奥さんからは、ウイッキーが心配しているとショートメールが届いた。状況を書くと、難病なら研究している人が居るはずだから探してみるとのこと。タレントとして名が知れている人は顔が広いから、何かいい情報をもらえるかもしれない。

病院は夜が早い。消灯の時間になっても一向に眠気は来ない。

午前0時を過ぎるまでラジオを聞いて過ごす。「ラジオ深夜便」のスケジュールを聞いていて、深夜1時からの落語を聞きたいなぁ、などと思いながら少し眠る事にした。

夫との深夜メール

2時に目が覚めラジオを付けると、昨年亡くなった眉村卓さんの「僕と妻の1778話」の中の3話の朗読が始まった。クスリと笑える話と最後の奥様が亡くなった日の話で涙がこぼれた。(早速フリマアプリで購入)

涙が乾くと天井を見上げ、「人生とは味わい深いものだなぁ」と思った。

次の番組は音楽だった。もうすぐクリスマスだ。マライヤキャリーのクリスマスメドレーが流れてきた。毎年このメドレーを大音量で聞きながら大掃除をするのに・・・

ふとスマホを覗くと夫からメールが届いていた。

私が最後に書いた「私が治って、しっかり面倒看るから、私のことは心配しないで、のんびり構えていて下さいね!」に応えてくれたのか

「結果的にどのような病状になっても、最後まで面倒を看るのでリハビリ頑張ってください。♡♡♡♡♡♡♡」

泣かせてくれる。「ほんと?離婚なんて考える必要ない?あなたがいとおしいわ♡」と少し冗談めかして書く。

「一心同体です。お互い頑張ろう」と帰ってきた。「あ・り・が・と・う」

こんなことがなかったら、一生交わさない言葉だった。

一度目の結婚をお互い失敗した者同士、40を過ぎての再婚だった。ほんとにいろんなことがあって、それでも我慢して(お互い)23年、そして今がある。初めて分かる本当の優しさだった。気づけばこの時午前3時を回っている。彼も眠れないのだろう。

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