病院のトイレ用語

夢のない話ですが

朝目覚めるとかすかに臭う、やっぱりと思った。昨夜7時過ぎ残便感があり敵便した際4日間続いた2が6位になっていたので、残っているものが夜出るのではと思っていたが案の定だった。2とか6とか健常者の時は知る必要もなかったが、詳細を知ることは私にとって大切な情報になる。リハビリ病院のトイレの中に数字と形状が書いてある。
(1はコロコロとしたヤギの糞のような状態で4が普通、7迄あって水っぽいものがそれ)

ベッドにもれなくて幸いだったが、車椅子のシートにシミを作ってしまった。
ゴミ収集の人には心から申し訳ないと思うが、自分で立てないので、トイレに便だけ捨てることもできずゴミ袋にリハビリパンツごと捨てることになる。

リハビリパンツの自覚しないまま夜中に出てしまう事が5日か6日おきに起こる。
10時に寝て11時半にかすかな臭いで飛び起きて、トイレに行くがシーツにシミを見つけて、夜中につまみ洗いして、朝洗う為に洗濯機にかけておく。また防水シーツに換え安心して眠れた。6時にトイレに行った時には、すでに彼がゴミを捨てに行っていた。

昨日泌尿器科の先生が、「夢のない話ですが自発尿と私が呼んでいるものは、膀胱の容量を超えてあふれているようなもの」とのこと。
「こちらも夢のない話ですが、今後改善されて自力で可能になることはないのですか?」と問うと「改善することはあるが、泌尿器の方は難しい」と・・・う~ん

私のできる家事

今日は夫が朝めまいがしたと言ってソファで寝てしまったので、朝食はバナナとヨーグルトで済ませ、薬を飲んだ。気分が良くなったようで、お昼にはチャーハンを作ってくれて自分も完食したので安心した。それでも午後も元気はなくバファリンを飲んでいたので、頭痛もあるらしい。

父と同じようにお酒が好きで、お酒が入ると口数が多くなるので健康な時はすぐに分かる。健康のバロメーターがお酒だったが最近は年をとって身体も変わってきている。
私が発症して下半身麻痺というショッキングな状態になったのをきっかけにストレスと不眠と飲酒で、糖尿病が表に出てきて二人一緒に病気になってしまった。
今まで食器洗いもやってもらっていたので、これからは私が食後の後片付けをすることにした。

退院後初めて歯科医に行った。また今までのように月に一回メンテナンスに通うことにしようと思う。母の時代はまだインプラントもなく、毎月の歯のクリーニングも習慣化されていなかったので、可哀想に入れ歯になっている。口の中にいつも異物を入れているというのは、きっと気持ちの悪いものだと思う。

歯のチェックと歯垢を取り10分待って新しい担当の歯科医が虫歯の治療をしてくれた。かぶせの説明を聞き、プラスチックなら千円、銀なら三千円、セラミックなら五万円と言われ、ついセラミックと言ってしまった。帰ってから夫に言うと、見えないんだから銀でいいんじゃない?と言われ、それもそうかと変更した。笑

帰ってすぐにトイレに行ったが、行く前にトイレに行ったのに、1時間ちょっとで漏れてしまい着替える羽目になってしまった。時間はかかるだろうが、少しずつでも排泄が普通になるように頑張ろう。

懐かしい声

朝から「あなたが骨折する夢を見た」と夫が言う。先日私がベットに座り、青竹踏みを試そうとしたら、前にぐらつき、つんのめったのを正面のソファに座っていたので見て怖かったのだろう。また入院することになると大変な思いをさせるので、反省した。
自主トレをする時、体幹が効かずバランスを崩して倒れてしまう。気を付けよう。

刺し子で作った手作りのコースターをお世話になった方々に使って貰えたらと、お礼の手紙を添えて送る準備をしたものの、誰宛に送ればいいのか分からず電話をしてみた。長野の病院で心に残ったHさんという看護部長さんをわざわざ呼んでくれて話せた。

先日も「川尻さんどうしてるかなぁ」と話していた所と言ってくださった。平気な顔をしながらも、辛く感じた時があったのを、つい思い出して涙が出そうになった。
便失禁を初めてした日、私が臭いについて恐縮していると、「バラの香りのする便をする人はいないんだから・・」と笑いながらなぐさめて下さったのを思い出した。
いつか元気な顔を見せれるようになったら良いなと思う。

体調は毎日変わる事が分かって良かったと思っている。昨日のように痺れが強く、頻繁に強い尿意が続くと精神的にも疲れるが、今日のようにゆったりした時間が持てると幸せだと思う。それでも健常の時とは違うのに、人間って不思議だと思う。

自分の感じたことや考えをブログに書いて読んでもらうのは、文章をまとめることが自分の為になると思うが、昨日のようにアクセス数がいつになく238と多かったので、驚いたが嬉しくもあった。一人で沢山の記事を呼んでくれた人が何人かいたのだろう。

青竹踏みでつんのめったことをブログに書いたら、弟からもリスクマネージメントについて言われてしまった。自分の身体の能力を考え、無理をしない事を肝に命じた。

発症後初の誕生日

6月26日194日目:66歳の誕生日。夫は忘れているかと思ったら、朝のデザートメロンを私だけカットして出してくれた。笑

先日長野の病院に送った手作りのコースターが届いたと連絡が入った。
皆さんに届くようにと思ったら、ロビーとリハビリ室と病棟に額に入れて飾るという。そこに名前を入れていいかというので大丈夫ですと答える。とても喜んでくれて、すごい上手と言ってくれて嬉しかった。私もグーグルで口コミを書いておいた。

午後3時半3年以上通ったウイッキーさんの英会話のクラスが、いつもの場所でやるのが最後というので、久しぶりに顔を出した。お見舞いにもコロナで面会禁止で行けなかったからと、いつもは来れない人たちも私に会いに来てくれた。

誕生日にも重なったので、花束やプレゼントを用意してくれた人たちがいた。気の合う仲間たちが居た時は、とても楽しく勉強してたし、クラスメイトのお店で良くみんなで飲んだことを懐かしく思う。

お花見や花火、誕生会に忘年会と大人の仲間が気の合う者同士というのはありがたい。仲間にはミセスユニバースやプロゴルファーや外資系保険会社の支社長に飲食店のオーナーなど、ウイッキーさんのテレビやラジオの番組に出たり、面白い仲間たちだった。

夫が夕食にシャンパンを開け、生うにやご馳走を用意してくれた。
母や弟夫婦、孫や娘夫婦からもビデオ電話で誕生日を祝ってもらった。どんな身体になっても、家族や友人に祝ってもらえる66歳は絶対幸せに違いない。

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