脊髄梗塞の疑い

走る夢

短い夢を2,3回見ながら浅い眠りを繰り返して朝になる。それにしても若くはないのに10日も深く眠る感覚がなくて良く平気だと不思議に思う。海外旅行に行って歩いている自分に驚く夢や、色々なお猪口を手に持ちながら走る滑稽な場面や、大雨の中犬にビニールをかけ一緒に電話ボックスに走る姿など、支離滅裂だがはっきり覚えている。

歩く、走る、犬、雨宿り、今の自分の心を映しているのかもしれない。立つことができなければ歩くことも走ることも、もうできないのだろう。これからの人生は大きく変わっていく。新しい生き方を探さなければ・・・

昨日は母に電話をした時、「90歳を前に悲しい思いをさせてしまったけど、必ず元気になって会いに行くから、その時まで頑張って生きてね!」と伝えた。母にまだまだ元気でいなければ!と思ってもらえれば、お互いの心の負担も軽くなるというもの。

母の為に予約を繰り返していた郵送のレンタルビデオも切れないよう手配しなければ、と考えながら関わっているネット関連のID・パスワードの管理やデジタル遺品についても損失を残すことのないよう考えておこう、と改めて思った。

今回は命に別状なくても今の時代、ネット社会に生きているので、何があっても残る人が困らないようにしておくことを、真剣に考えた。

今日はMRIの再撮影と夕方には東大宮から弟が来てくれる。早めに送っておいた孫達へのクリスマスプレゼントは気に入ってくれただろうか?そろそろプレゼントを開ける孫たちのビデオが娘から送ってくる頃だ。

MRIは午前中に終わった。午後のリハビリに行く途中、担当医と出くわした時、「見たよ。また明日話すから」と笑顔だったが、いい方向へ進んでいるという目ではないと感じた。仕方がない。

明日の説明を聞くために来てくれた弟からは、焦ってもしょうがないから、のんびり構えるよう言ってもらった。夫と私のどちらがどうなっても不思議ではないのだから、気を使いすぎないようにとも言ってくれ、駅前にホテルを取ってあると帰って行った。

夫の病気

言い当てたように、その夜夫からメールが来た。具合が悪く、病院で検査したところ血糖値が上がっていて、膵臓の数値が下がっているという。23年以上一緒にやってきた私がこんなことになって、かなりのショックで食べることも寝ることもできなくなって、ストレスで身体のバランスを壊しているのだろう。

明日こちらに来ることは諦めて、安静にしているように伝える。
幸い弟が来てくれていて本当に良かった。

夫も1月半ばから月末まで入院することになった。家から徒歩20分位離れた医療センターだという。私の転院があるから、そのあとにしたのだろうが、病院に入っていれば管理してもらえるから、逆に安心と言えるかもしれない。

ほとんど使わないからと、いまだにガラ携を使っているが、早くスマホにしてあげていたら、顔を見て話せたのにと、少し後悔した。なんとも弱り目にたたり目となってしまった。誰にも頼めない人間関係の中で生活していたと気づく。

親戚も友人も近くにはいないが、親兄弟の心の支えがあるだけ良いのかもしれない。
娘に伝えても子供たちがいるから、どうにもならない。
家政婦
さんに頼もうか?

昨晩は初めて2、3度目覚めたものの熟睡できてホッとしている。夜中に今年最後になるブログを書いた。婚活をしている人達に向けたメッセージなので、「二人の間に築いていたもの」という何かがないと気づかなかった絆が今回のことで見えた事を書いた。

迷ったが、たった一人の娘なので、今回は頼ることにした。私一人のことなら必要なかったが、彼が入院となると話が違う。食事のことも糖尿となれば気を付けなければならない。調べたところ航空券も高すぎないようだ。快く引き受けてくれて良かった。日程は未定だが安心した。孫たちのことは婿が面倒見てくれるだろう。

朝、体調を聞こうと彼に電話をすると、すでに新宿からこちらに向けてのバスに乗ったと言う。無理を押しても責任感や愛情が彼を動かしているのだろう。大げさなようだが、一生をかけて尽くしていかなければ・・・と思った。

来ないものと思っていたが、心配だけれど顔を見れば、もちろんホッとする。

12:30弟と一緒に部屋で待つ間に話せたが、今日こそ日帰りはしないだろうと思っていたのに、「明日お風呂場のカランの修理が来るから」と今じゃなくてもいい事を言い出す。年末で長距離バスの空席がないらしく1:40に、タクシーを呼んでるという。

予定より遅れたが、タイミング的には間に合って13時から20分先生の説明を受ける。
MRIの画像から何らかの理由で血流が悪くなり、指令をつかさどる中枢組織が機能しなくなったのだろうとしか言いようがないらしい。
脊髄梗塞の疑いというあいまいな解釈ではあるが、ほぼ間違いはなさそうだ。

理由も分からないし、もっと詳しい検査をすれば分かることも出てくるかもしれない。非常に珍しい症例と言って良いので転院した病院での検査とリハビリを根気よくやるしかないとのこと。先生も言いづらいに決まっている。

なってしまった事は仕方ない。どんな形にしろ人として生きるしかない。
回復の見込みについて考えると辛くなるので考えるのはよそう。

タイミング的に今日が金曜で、明日からどこも年末年始の休みに入る。
転院の希望も彼の入院の日程があるので、年明け早々に依頼して間に合えばいいが。

転院の日が決まったら、前日に弟がレンタカーを借りて夫と一緒に来るという。

二人の帰宅の確認をする前に眠ってしまったようで、電話くださいという彼のメールを見たのは23時だった。血流が悪く冷たくなってしまう足に、つけてもらったポンプが自動的に動いている。おかげで、下半身が温まり眠れるようになって嬉しい。

夫とはお金の話をした。まとまったお金が必要になるが、口座に補充する準備はあるので心配はいらないと伝える。まずは彼に体調を戻してもらって、長丁場となるので、半年先まで見据えた準備をしておかなければ。

弟が転院を希望している自宅近くの大学病院を調べ、相談センターがまだやっているというので、出向いてくれたようだ。素人の搬送では、万が一途中ショックなどのせいで大変なことになった場合のことを考えると、安全を期した方が良いということになったようだ。病院から介護タクシーを紹介してもらうことになった。

娘には6日~16日位迄来てもらえればと、伝えて置いたが、6日夕方着の16日夕方発でチケットが取れたという。こんなことになるなんて、考えてもみなかった。

自分が母を介護している気でいたのに、逆の立場になるなんて、ほんとに人生何が起こるか分からないものだと、つくづく感じる。

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