車椅子で行く海外旅行

誰にも分からない未来

7月24日224日目:もし新型コロナ感染症の発生が無ければ今日はオリンピックの開会式の予定だった日。1年延期の為に、寂しい気持ちになった人が世界中に沢山いる。
同じ伝染病で世界がこんな状況になるなんて誰が想像できただろう。

娘の毎年作ってくれるカレンダーには私と夫を含め娘家族と美味しそうにアイスを食べている写真が使ってある。去年の今頃帰国した孫達の為に色々なイベントに出かける計画を立てた。みんなでマシュマロを作り、アーチェリーを楽しみ、桃狩りにも行って広い田んぼの中の道を歩き、ろくろ体験で思い思いの器を作った。ローカル線にも乗って楽しかった。同じことはもうできない。だから、やっててよかったと心から思う。

昨日はニューヨークの従妹と1時間ビデオ電話で話した。彼女の息子たちの話や、私の影響を受けフリマアプリで前の住人が地下に置いて行ったものや家の不用品を売ったら30万位になったことなど、笑える話が満載で楽しかった。

私は暇に任せてパソコンでビデオを見るのが習慣になってしまった。今は韓国時代劇を見ているが、ついつい他の事に気持ちが向かなくなってしまうので、そろそろ時間の効率も考えなければと反省している。

娘たち家族と次はナイアガラへ旅行に行こうと思っていたが諦めかけていた所、アメリカは車椅子の人が行けない場所があると、人権団体が黙っていないので、ナイアガラも車椅子で全然OKだと聞いて力が湧いてきた。ならばカナダのメープル街道へも行ってみたい。
もっと言えばイタリア各地やアラスカ、行ってみたかった所を諦めなくてもいいんだね。

訪問リハビリのPTさんも、私の希望の話を聞いて車椅子での飛行機移動について、調べてくれたみたいでありがたい。人よりもっと自分の気持ちを前に向けなければ。

リハビリパンツ


今日は四連休の最終日、と言っても外へ出ることもなく、コロナでどこも自粛ムードだし、今年は梅雨が長く暗い日が多い。私が病気になったと同時に世の中も病気になっているようだ。私がある程度の改善をしたころ、世の中も上向きになるのだろうか?笑

昨夜母と話をしていて、玄関の古い下駄箱を処分してくれると車椅子で入りやすいと思うと申し出た。年内に帰るにしてもまずは1泊か2泊、自信を付けていかなければならないし、母が死ぬまで帰らない訳にはいかない。問題点を一つずつクリアしていかなければと思う。

流しをきれいにした。1日を過ごすのに何か1つ昨日と違うことをしなければ毎日が過ぎていくだけになる。今の私の段階は急激に良くなるわけではないので、1日1日過ごせたことだけを喜びと感じるようにしている。

以前友人Hさんとユザワヤに一緒に行こうという話をしていたが、彼女は今薬を飲んでいて、ハイになるといつものおしゃべりに輪をかけてにぎやかになる。今回はコロナ禍でもあるので一人で行くことにした。念のためリハビリパンツを履いて行けば少々間に合わなくても大丈夫と分かって自信がついた。

訪問リハビリのPTさんが来た時、私がマスクをしてなかったことを夫から危機感が無いと叱られた。2日続けて指摘されたことを反省しなければ・・・彼に移してしまったら、私が発症するより、ひどくなるかもしれないし、死んでしまうかもしれない。
取り返しのつかないようになる前に気を付けよう。

手紙

8月1日232日目:中学3年の時の担任から年賀状をもらっていたが、入院中で返信しなかった。迷った結果今日手紙を書いた。同級生にはまだしばらく黙っていようと思う。

今日から梅雨明けのような天気になった。発表もあるだろう。
これからやっと夏という日差しがやってくる。
出かける用は病院位だけど、今年の夏は今までとは全く違う夏になる。

コースターを送った長野の看護部長さんから心にしみる手紙をもらった。

入院を長くしていると、女性の髪の染めた所と白髪の部分の伸び方で、入院何か月目なのかが分かるようになった。私は全体的にグレーになりそうなので、そのままでもいいと思ったが、髪の色が夫の気持ちを下げていると言われ、母と娘に相談したところ、考えに合わせた方が良いねということになった。

美容室に行くにはトイレとシャンプー台に移れるかという問題をクリアしなければならないが、解決すれば毎月美容院に行って、以前の私に戻ることができる。
とりあえず車椅子で行きますとカラーリングの予約をした。

母の卆寿の祝いに脳トレ人形とフルーツアイスケーキを注文した。まだしっかりしているし、けがをしなければ3~5年は大丈夫だろう。今年は行けなくても来年には行けるだろうから、元気でいて欲しい。

思えば遠くへ来たもんだ

8月15日246日目:目が覚めると身体は折れ小さく固まっている。
ゆっくりベッドの柵を使って起き上がり足をさする。しばらくほぐせば身体のこわばりは取れる。そこから私の一日が始まる。

夫はこの2、3日体調が悪いようで朝食を取れないようだ。一人でシリアルを食べ薬を飲む。食後にトイレのごみを捨てに行ったら、時々言葉を交わしていた管理人さんの一人に、久しぶりに会った。車椅子の私を見て驚いていた。

今日は故郷ではお盆の色々な習慣に従っているだろう。
思えば遠くへ来たもんだ…と思う。これからの時代私はどの墓に入るのだろう。
私が先なら玉川上水、あとなら天草?まだまだ先のことか。笑

弟が実家からビデオ電話をかけてくれた。久しぶりに見る母はずいぶん老けて見えた。
弟嫁も彼女の母親に似てきていてびっくりした。90歳の母は声だけ聴くと、あと4、5年大丈夫のように元気に感じるが、やっぱり見た目はごまかせない。寝込んでから行っても仕方がない。早く行けるように頑張ろうと思った。

歯科の後、孫たちの靴を見に行ったが、気に入ったのが見つからなかった。直営か専門店なら都内より横浜か川崎へ行こうと思ったが、夫が病院以外は出ないでという。
彼の持病の事を考えると、コロナに感染することはかなり大きなリスクが伴うから無理もないネットで買えるものにしよう。ナイキなら送ってくれるから、それでいい。

毎年帰国時とクリスマスは靴をプレゼントしてきたが、今の身体では思うように行動できず、やってあげれることも制限される。考えても状況は変わらない。It is what it is.

成長と衰退

今日は大学病院へ9時に出かけ11時に帰ってきた。トイレに寄ってなかったので、間に合わなかったけど、何とかなった。途中食パン専門店に寄ったので、昼にサンドイッチを作った。次回から泌尿器科と神経内科を一緒にしてもらうことになった。カテーテル検査をしてもらったH先生は木曜日が外来らしいので、会えないのが残念だ。

退院して3ヶ月弱になるが、夫もそろそろ疲れがたまってきて、全て自分の負担になっていることをストレスと感じているかもしれない。糖尿で病院の薬を飲んでいるのに、お酒も飲むので身体に無理がかかっているのだと思う。

昨日も今日も夕食の途中でソファに横になった。ベットに入るのも昨夜は19:30、今日は19:00だった、無理して私の為に夕食を作ろうとするのでふらふらしているようだ。
私が少し注意すると、文句を言っているように聞こえるらしい。
大丈夫だろうか?また入院しそうな気がする。

翌朝5時半には目が覚めたので、6時迄待って起き出す。彼は起きれないかもしれないと言っていたので、一人でコーヒーを沸かし、残っていたサンドイッチとハチミツを付けたパンを食べた。

発症する前の昨年秋から気になり始めた『耳鳴り』の為に聴力検査をしてもらった。
高音が聞こえにくくなっていて、年齢的なものもあり治療が必要なものではないと判断された。一日中頭のどこかでなっている表現するのが難しい音、仕方がない、気にしないように過ごすしかない。きっと慣れるだろう。

郵便局へ孫たちの靴を送りに行ったらアメリカへのEMSの扱いが停止されていた。
娘に買ったものを見せたらランニングシューズを買うべきところバスケットシューズを買っていたと分かった。上の子の方がジョーダンと書いてあった、良く考えれば分かるのに、カッコいいからだけで見ていた。交換を頼む為商品を引き取りに来てもらうように運送会社に連絡した。同じ金額のものがないので、いくぶん足して注文した。
もう好みがはっきりしてきているので、こちらの思いこみは拒否されてしまう。笑

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