【排泄の苦労が思い出になった?】  2022.2.6

発症したその日、救急車で運ばれた病院は脳神経外科病院、MRIに先客があるらしく先生と話をしながら待っている時、採尿バッグを付けることになり、排泄障害が残るかもしれない事を知り、「えっ?人口膀胱になるってこと?」と何も知らない私は考えてしまいました。

今まで健康でオシッコもウンチも、もよおせば出るものと思っていました。自分で出してあげないと出ないなんて考えたこともありません。普通そうですよね。

ここだけの話。読んで頂いている方は経験があるか、状況をご存じだから書けますが、最初に導尿カテーテルを尿道口にさしてオシッコを出している時、なんだか男の人の身体になったようで可笑しく感じたことがあります。馬鹿ですね。笑

入院当初から飲み続けていた尿を出しやすくする薬のせいで、下部にビリビリと感じトイレに急いでも、パッドにもれてしまったり、下着だけでなくスウェットまで取り換える羽目になっていました。2年が経つ頃、先生に相談し薬を止めた事で普通の人と変わらない回数(1日7~8回)で処理できるようになりました。

排便では大変な思いを何度も繰り返しました。リハビリ病院からの退院を目前にした夜中、お布団の中で知らない間に便失禁していました。トイレに行って自分で処理しようと思いましたが、断念しナースコールを押すと男性の介護士さんが来てくれました。その頃になると、男性でも女性でも恥ずかしいという感覚は横に置いておくのが当然になっていました。

女性の看護師さんにも手伝ってもらって、綺麗にシーツの取り換えてあるベットに帰った時には1時間以上が経過していました。「病院にいるうちで良かったね」と言われた時には何とも言えず、ありがたいなぁという気持ちでいっぱいでした。

退院後半年間は週に2回や一晩に3回も、リハビリパンツだけでなく防水シーツも汚してしまい、別の部屋で寝ている夫を起こさないように気を付けながら、2リットルのペットボトルに入った水で、冷たさを我慢しながら身体を洗い、着替えて、汚したバスタオルやシーツを洗ってベットに戻ったことを思い出します。

失敗する間隔が1ヶ月に1回~2回程度になったと喜んでいると、不意にやってくるので気が抜けませんでした。時間もバラバラでベットに入ってすぐの深夜だったり、夜明け前だったり、食生活と関係ないようで、気のつけようがありませんでした。

2年が経つ頃、飲み続けている整腸剤はそのままに、酸化マグネシウムで調整したりして、敵便で管理できるようになると、夜中の失敗が徐々に減っていきました。最後から3ヶ月半が経った今、やっとこれで夜中の便失禁は心配しなくていいのかな?と思うようになりました。

退院後、1ヶ月に一度通院することになった大学病院の泌尿器の先生に言われたことが今でも忘れられません。私が「時間が経てば自力で尿が出るようになりますか?」と聞くと「夢のない話ですが、それは無いと思います。」と言う返事。

早い時期に回復が見られ、自力で排尿できる人もいますが、私は無理なようです。
排便も自力でできるようになったと思っても、すぐに戻ってしまいます。
自分の身体ですから、カテーテルで尿を出してあげたり、自分の手で便をかき出してあげなくてはならなくても、人間として生きていくための手段ですから、もう苦ではありません。

時々、こんな事一生やらなきゃならないんだわ・・と、ふと考える時がありますが、今より悪くなることはありませんから、きっと来年の今日、再来年の今日はもっと楽になっているはずですよね。笑

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